山田盛太郎先生と7月14日

 山田盛太郎先生がご存命の砌、7月14日には何故か良くお会いできることが多かった。
 先生はいつも私にニコニコと微笑みながらお聞きになる。
 「中塚君、今日は何の日か知っていますか?」と。

 私も、ニコリとして、「はい、フランスの革命記念日ですね!」と答える。
 そうすると、先生は満足気にもう一度ニッコリとされ、次の話題に入る。

 こんなことが、ほぼ何年か続いたある年、先生はいつもと同じように
「中塚君、今日は何の日か知っていますか?」と聞かれたので、その年に限って
私は意地悪をして「パリ祭です」とお答えしたら、先生は、真顔になられ、
正面から私をご覧になって、「それは違います。今日はフランスの重要な革命記念日です。
先程の表現は本質を正しく捉えていない。」と、諭されるように穏やかに話された。
 私は、学問に向き合う姿勢が不十分であったことを詫び、頭を下げた。
 頭を上げると、何事も無かったかのように、ニッコリとされた何時もの先生が、
先程の私との問答なぞ無かったかのように、違う話題を振ってこられ、
その日は二度とこの件でご指摘やお叱りを受けることは無かった。

 次の年も再び先生は「中塚君、今日は何の日か知っていますか?」と聞かれたので、
 「はい、フランスの革命記念日ですね!」と答える。
 そうすると、先生は満足気にもう一度ニッコリとされ、次の話題に入る。

 こんな遣り取りが何年か続き、そして、先生がお亡くなりになられた後、7月14日には
「先生、今日は7月14日のフランスの革命記念日がやってきましたよ。」と先生の
ご著作に話しかけることにしている。

2019年5月24日 (金)

ネットワークを通して人間の本質に迫れるか?

 ネットサイト、「ITmedia」は、この二十年位の間、重病か重い体調不良時を除いて、殆ど毎日何らかの時間を使って閲覧を続けた。

 とりわけ、閲覧の初期(1990年代)は、今で言うところのIT業界の疾風怒濤の時代、アメリカを中心とした激しい成長と発展、企業の戦国時代の様相を日々刻々と日本語でも英語でも伝えてくれ、今、世界で一体何が起ころうとしているのか、誰がどのような事を企画し、展開され、発展と淘汰が毎日目が回るくらいの怒濤の如き奔流となって眼前(もちろん、基本的にはアメリカにおいての話が主体である)に展開していた時代の息吹を、本当に事細かに伝えてくれた。(もちろん、ITmediaだけではなく、ZDnews、CNet、Wired等と本当に有益で多彩なサイトがあり、固唾をのんで読みふけった論客の記事から、日本では考えられなかったような企業の創出と合併・買収の生々しい過程等々を、時間の余す限り、閲覧し、できるだけ事細かく記録を取ることに務めた。

 これらを読んでいたおかげで、なんとか今でも時代の驥尾にしがみつけていられるのだろうと思うと、後年、現在に至るまでの体調不良時の記事閲覧が抜けているのがなんとも悔しい。

 閑話休題!つまらぬ前置きや回想が長くなったのはどうかご海容の程を願いたい。

 今日、「ITmedia」 のTwitterサイト(TopでもNewsでも)から「アニメに潜むサイバー攻撃」(第6回)について、内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)の上席サイバーセキュリティ分析官、文月 涼氏筆の最新の記事を読むことが出来た。(全文や過去の掲載記事についてはITmedia Newsの記事を参照)
 筆者の文月氏は毎回サイバー攻撃についての話題をアニメの中から拾い出し、相方との対話で筆者独自の解説と自説を展開されている。この度の第6回目の話題は、「攻殻機動隊S.A.C.」の「笑い男」編を題材としている。筆者は以前にも「個別の11人事件」(第3回)から、これらの事態が現実の起こりうるかという論点を中核に問題を掘り下げる。(既に周知のことではあるが、蛇足ついでに敢えて添え書きすると、攻殻機動隊には他に「Ghost in the Shell」”人形遣い”の話があり、私はこれも甚く気に入っている!)

 筆者の文月 涼氏とは異なり、私はネットワークの機能と本質を掘り下げてこれらの基本的な概念化を確保するために「攻殻機動隊S.A.C.」をはじめとする攻殻機動隊の他の作品や、面白そうな作品を何度も繰り返し拝見し、私の基本的な視角を形成する上で参考にした。
 確かに、これらの原作には発想部分にSF的世界観の問題が横たわることは事実ですが、サイバー攻撃ではなく、ネットワークというものを元々の原作者がどう捉え、それをどのような世界観から人間の世界との関連で表現し、ネットワークの本質を抉り、さらに人間世界との関わりが描かれているのか、そもそも人間とは如何なる存在であるのかという基本鑑賞視角からどうしても離れられず、原作を思い浮かべながら文月氏の論評を今回も楽しく読ませて頂いた。

 文月氏への論評は差し控えるが、アニメの良く練られた原作には作者によるネットワーク概念と人間の行為を通して人間の本質に迫るという原作者の深い眼差しがその基礎に存在し、これをまず論じられるべきであろう。

 また、アニメはその表現上の方法から、文章や実写版の映像とは異なり、かなり的確な表現を直接鑑賞者にぶつけることで原作者の本意が表現できる。
 文月氏により以前報告された「電脳コイル」(第5回)や、有名な「サマーウォーズ」等の作品など探してゆくと日本のアニメには結構面白いユニークな作品が多数存在している。
 人によっては笑うか、あるいは不愉快に思うかもしれないが、数理上からの学術論文や所謂複雑系の様々な論考とは別に、アニメに込められた原作者による思い掛けない素晴らしいヒント、様々な考察を巡らす上でのキラリと光りハッと鳥肌が立つようなヒント、を一つ一つ見付け拾ってゆくことに、些か言い知れぬ喜びを感じる今日この頃である。

2019年5月23日 (木)

雑感、少し複雑な!

 人間は年をとるに従って、本人が殆ど無意識のうちに、何かの機会がない限り、昔から慣れ親しんだ古い習慣に無意識のうちにしがみついて生きていることにはなかなか気が付かないものだ!(ひどい場合は、自分のやり方が最も優れているのだ、等と思い込んで疑わないことである。)

 ありがたいことに、年をとっても、若い人々と集う機会がある時、彼我の間に横たわる異空間を、ある瞬間、ふと、不安気に感じることがある。
 もちろん、この感覚が決して不安で不快というわけではない(もし、ここで無意味に不安に陥ったり、更に不快さまでも感じるようなことがあれば径は行き止まりになりかねない。)。謙虚になって、彼らの中に混じり、彼らに教えを乞う時、改めて彼我の間に横たわる異空間というものの本質がぼんやりと顔をのぞかせ、今まで知り得なかった若い人々が集う未知の行為空間がそこに存在することに気づかされる。もちろん、この未知であった行為空間で、自分も若者に混じって踊ってみるという必要はなく、また、この行為空間の住人にまで進んでなる必要もない。
 問題は、この行為空間の存在自体を知り、それがどのように成立し、どのような機能をしていることがその行為空間の存在理由なのだろうか、ということに触れる機会をつかみ、彼らから教えを乞うことによって、その行為空間の存在理由そのものを理解することが殊更重要なのである。

 世界中が激しく音を立て、めまぐるしく変貌してゆくことは、何も昨日や今日始まったことではない。
 逆に、あまりにも変貌が激しく、気づかないうちに唐突にも身近に現れ、思わず絶句に至ることも昨今度々ある。初めての遭遇というものは、自分だけが決して浦島太郎にでもされてしまったわけではないので、落ち着いて、分かる人に何度か教えを請えば、次第に初めてではなくなるではないか。

 些細なことではあるが、この度、メイン機をWin.10のノートPCに変えたのを受け、導入アプリを最新のものに変更した。これは、主に新しいアプリだけが出来る領域を手元に確保しておくためである。また、思い切って旧機からの設定の移行を全て止めた。とりわけ、ネットの「お気に入り」の設定は、発想から考え直して一から何度か組み直しそれなりのものを設えた。時折、まだ利用可能な旧機(Win.7機)でネットを起動させると、改めてその設定の古さ、その発想法自体の段階の古さに落差を感じ、苦笑いを禁じ得ない。
 これに始まって、iPhoneやiPadの設定も変えてみた。決して粋がって若い人々の真似や、仲間入りをしようとしているのではない。今までとは違う踏み台を設え、今まで良く見えなかったものを、少なくとも、見える機会を造ろうとしただけなのである。

 少し、世界が違って見え、新鮮で目を見張るものを感じている。
 しかし、孫悟空がお釈迦様の掌から抜け出せなかったように、大した進歩をした等と大向こうに大洞をふくほどでもないのだろう。

2019年4月21日 (日)

文献引用時のイライラ

 引用文献を記載する時、一瞬、複雑な思いに駆られることがある。

 邦文文献の場合、著者によって何回か版を変更されたり、さらに著作集・選集・全集(著作者が生存中に編集される場合もあり、没後に編まれる場合もある)があったりと、同じ著者による同一の文献に対し、幾つかの異なる版本が存在する場合がある。
 これらの場合、どの版本を引用文献として選ぶのが良策なのだろうか、と時に悩む場合がある。
 引用者または読者がどの版を持って互いに向き合っているのかは、時として不明なのである。執筆者は、自分にとって一番良い版本を引用文献に当てたいであろうし、読者にとっては手近に所持している版本で引用文献を確かめたいはずである。

 とりわけ、翻訳文献からの引用をする場合は一層複雑な思いに駆られる。基本的には外国文献の場合は原語版の頁を表記すれば全く文句が無いように見えるが、原語版といえども邦文文献と同様に沢山の版本があり、どの版を指せば良いのかが同じように問題になる。
 翻訳文献の場合、出版社や翻訳者によってもどれを選択するべきかという問題があり、幾通りもの版があれば、訳文だけの問題ではなく、頁数も異なる場合があり(文庫化されると訳文はほぼ同じでも、頁数が異なる場合がある)、勢い、主なものは全部買い込んでそれらを表記すれば良いではないか、と言われると、執筆者と読者は出版される毎に、ことごとく様々な版本を買い揃え、いざという時のために備えねばならなくなるし、執筆者も、たった一言引用するのに、何冊もの異なる出版社・翻訳者の頁をくどくどと書き連ねなければならなくなる。イライラが募るのであるのであるが、論考を通じて執筆者と読者との間のコミュニケーションが成立するためには、引用文献の選択は本文以上に難しいものがある。書く側にも、読む側にも、互いに自分にとって最上の版本があるために、この一点で、コミュニケーションに支障が生じるのは何としても避けたいという気持ちがある反面、自身が相応しいと思っていない版本が取り出されると、どうしても舌打ちをしたくなる。

 しかし、悲しいもので、気がつくと書斎には同じ著者の版の異なる同じ文献(邦文文献や原文版、ならびに翻訳書に至るまで)が書棚に鎮座されて、小生からの呼び出し備えて今か今かと待機しておられる。円滑なるコミュニケーションが必要であるとの思いがそうさせているのだ。
 執筆者には読者に対して、自己の論考への十全な説明責任があるので、例え苛つくことがあっても、ここでは丁寧な対応が何よりも肝要となることから、健気にも、家庭平和を祈る一方で、書肆へと暇を見ては足繁く通わねばならなくなる。

 また、長生きをすると、時として溜息をつくことがある。
 三十年位前では、この書物を引用文献として掲げておけば、大方はそれを納得されていたのだけれど、最近では、最早、それが些か通用しなくなり、新しく出た人気(?)の版本をどうしても用意しておかなければ引用箇所の特定に手間取ることがあり、渋々新しい版本を買うためにまたもや書肆へと出かけなければならなくなる。
 ある時、小生は、運悪く内に見つかり、同じ書物を一体いくら買い集めると気が済むのかと、説明を求められ、困惑の縁で狼狽えた。

 しかし、如何に困惑の縁で、溺れもがこうとも、一時の堪忍を渾身の思いで乗り越えさえすれば、時々ニンマリとする瞬間が必ずやってくる。
 時代を問わず、人様の書かれたどのような論考を読むときでも、引用文献の該当箇所へ簡単に行き着くことが出来るし、コミュニケーションでてこずることから解放されるのである。

 時に、用意しておいて、以外に役に立ったものがあった。
 山田先生の『分析』に対する各時代の様々な論客による論考を読むとき、時代によって利用された引用文献の該当箇所へと簡単に辿り着けるように『著作集』版の第二巻(『日本資本主義分析』)に『講座』分冊、旧版『分析』、岩波文庫版の各頁を色を変えて脚注として頁下部の空欄に書き込んで見ると、最初はあまり期待していなかったけれど、これが意外にも便利なものであった。お時間のある方は、是非お試しください!

 更に調子に乗って蛇足を付け加えると、山田盛太郎先生の資本論はエンゲルス版なので、探し巡って神戸の古書肆で先生ご所持の版より一年後のエンゲルス版[オットーマイスナー最終版]を見つけた。この時は、飛び上がるほど嬉しかった。山田先生の書物を読むときは役に立った、後年、このエンゲルス版は龍谷大学の山田盛太郎文庫所蔵のエンゲルス版『資本論』の映像資料を編集する時には大変重宝した。

2019年4月19日 (金)

脇村義太郎氏の回想録を読んで

 出版以来気になってはいたのだけれど、購入順序の点でいつも後回しにしてきた書物があった。
 岩波書店から出版された脇村義太郎氏の随想書類である。

 刊行順に書き上げると次のようなものだ。
 『東西書肆街考』岩波新書(黄版87)1979年(昭和54年)6月
 『回想九十年 師・友・書』1991年(平成3年)9月
 『二十一世紀を望んで 続回想九十年』1993年(平成5年)12月
 『年譜・著作目録』1994年(平成6年)12月
 『わが故郷田辺と学問』1998年(平成10年)4月

 脇村氏によるこれらの書物を、私は山田盛太郎先生の同時代史として読んだ。
 もちろん、これらの書物は、脇村氏の個人的な記憶を源泉とした記録で、突っ込んだ事実の確認と検証に対しては、それらは読者の仕事として尚残るわけではあるが、同時代の様々な様相を脇村氏の目と記憶を通して、改めて認識するという意味では貴重な書物であり、これら五冊を一気に読んだ。

 脇村氏の回想録や随想、対談については、小生が判っているものとして、他に下記の二つの書物があるが、現時点では小生は未読。
 『脇村義太郎対談集ー産業と美術と』1990年(平成2年)12月(日本経営史研究所)
 『東京湾は世界一 湾を守れ!』1996年(平成8年)月不明(岩波ブックサービスセンター

2019年4月 6日 (土)

新しいPCの導入

 この一か月の間、ネット利用に関わる幾つかの不安が重なり、諸般を考慮し、ネット使用の安全性の観点から、推薦されたWin.10版のPCを新たに導入することにした。
 健気に働いてくれた自作のWin.7(Ultimate)機はネットから外し、研究用の物書き機として愛用し続けることにした。これで、ネットに関わる不慮の事故から種々のデータと文書を保護できるし、安心してものを書き進めることが出来る。

2019年2月10日 (日)

旧記事の削除

 昨日から当日記サイトと、もう一つの日記サイトの昨年末の再開以前の旧い記事を削除した。 当サイトの日記記事は積もりに積もって約三百項目程が存在していたためであろうか、niftyのサーバーからは一度に掻き落とすことが出来なかった。 ある一定の削除作業を進めると、このPCを以てしても画面が固まり、時に全く言うことを聞かなくなるため、結局何とかして固まった画面を閉じ、いっとき時間を空けて再開の上、再び固まりそうになると急いで閉じて、やっと四回面にして漸く昨年末の再開以前を先程総て消し終えた。
 今回の削除は、特に深い意味は無いのだけれど、まあ、所謂気分の一新とでも言えば良いのであろうか。 今年への期待願望を込めてとでもしたら良いのであろうか。
 その他のサイトの記事も削除をした方が良いか、或いはサイト自体を整理した方が良いのかの判断がいるが、これはもう少し考えてからやろう。

 用心していたのだけれど、三日前から風邪を引き、寝込んでは起きて、ティッシュの箱を抱え込んでの削除作業になったけれど、ようやく目的を達した。

2019年2月 6日 (水)

全集・著作集は如何にあるべきかを問う

 もう終わり、と言いながら三つ目を書くと、それは大概駄作と昔から相場が決まっている。
 だけど、今朝起きると、どうしても、これも書いておきたくて、些か逡巡したものの、やはり書いてみよう(老人はこのような勿体ぶった書き方をする!これは要注意である!)。

 もう十分生きてきたので、内外を問わず、全集や著作集なるものは数限りなく手に取ってきたし、小生の苫屋の書斎にもいくつかが鎮座されている。

 ただ読むだけであるならば、特に目くじら等を立てないで、ただ味わえば良いだけなのだけれど(目が眩むような高価さを除けばである)、研究用資料としてこれを手に取る場合、大いに嘆息を禁じ得ない!

 何故ならば、まず、引用文献の選択肢が余分に一つ増えたからである(多少、私の我が儘があるが)。 手持ちの初版ものから始まる既版の書籍であれば、改訂や増補が影響しなければ、頁数は概ね変化しないのであるが、全集や著作集版は申し合わせたように原本と頁数が変わるため、どうしても財布に哀願して、何とかして我が儘を聞いてもらわねばならなくなる(まずは、該当する新しい頁数を把握するために、である)。
 さらに面白くないことに、原著者の手控え本によって改訂したり、言い回しを原著と変化させたり(漢字や表現、仮名遣い等々)と、編集者は勝手なことを言うが、一番肝心な何処を改訂したのか、何処の表現を現代風に改めたのか、発見されたどこのミスプリを改めたのかについては、大抵全く示されていないことが多く、些か失礼千万(著者に対しても、古くからの読者に対しても)ではなかろうか! 最も驚愕に値するのは、原著の先生がご存命であればと書き付けて、時代の推移により、先生ならばここはこうしたであろう、等と身勝手な編集を加えられるのには本当に辟易し、研究者としての資質を甚だしく疑う。
 ドイツ語の所謂髭文字が新しいものに置き換わっているのは、当初は読み易くて楽ちんではあるが、髭文字とて、慣れれば結構それほどには苦にはならない(だだし、老人は視力が弱っているため、時々読み間違いがおこり、一時意味不明に悩んだりするのは、個人的な不勉強の祟りと言うべきであらう)。

 全集や著作集を世に出そうと企画された理由は、ただ、著者を顕彰するためだとか、その書物が手に入り難くなったから、という理由ではあるまい。

 編集諸氏に問いたいのは、原著者の一体何を後世に伝え、引き継ぎ、引き渡すために、必要に駆られての全集や著作集の企画・編集であったのであれば、どのようなものが後世・後学に対し、遺されねばならないのかという一点についての存念である。

 歴史的に重要な書物(遺産)は、そのどの版を先ず後世に遺し示すことが大切なのか、原著者が遺した個人的な記載(自家用本への書き込み等)や、後々の版で公刊された変更箇所等々を逐一明示することで、後学の人達に原著者の示したかったことへの肉薄の径をどう探らさせれば良いのか、更なる学問の発展に資するために、そして何としても後学に示し、伝えなければならない著者の息吹とはどのようなものであったのかをどうやって示せるのかという点での原資料について十分な検討が編集者に求められている。
 だから、一般的には、原書籍が初めて世に問われた初版を原頁通り、書式も原書籍通りに復刻し、知り得た情報を脚注として巻末か、別冊子に編集する努力が本来有るべきではなかろうか(場合によっては最終版が最適となる場合もある)。(私は旧字や旧仮名遣いは苦手で困る等という輩は、そもそも初手から学問をする資格はありません。何のために辞書があるのか、君は何のために今迄学問をしてきたと、自問自答をまず何よりもされるべきであろう。)
 (ただ一言付け加えると、複雑で日数をたっぷりとかけなければならなくなると、どうしても高額な価格からは逃れられず、出版を事業として行うには採算上問題が多いため、出版側と編集側はお互いに妥協が必要となるという出版社の指摘があることにも留意が必要かも知れない。しかし、後世に示すためには、どうしても乗り越えられない壁とは思えない。双方共に意識を転換すれば、乗り越えられないはずは無い、と愚考する。)

 嫌味を最後にもう一つだけ書き記すと、原著者が意味を持たせて作った筈の著作物の空白域が大抵の全集や著作集版では無視されて、ノッペリとした面白みの無い気の抜けた紙面に成り変わっていることに大変な失望を禁じ得ないことである。
 著者が注意深く提示した余白域が存在するとき、編集者が遺し伝えなければならないことは、まず原著者の息吹であり、原著者の鼓動を感じさせるこの重要な構成を読者が捉えられるようにしなければならないことで、消し去るようなことは、断じてすべきでは無い。 特別に余白域を著者が設けた場合は、それは立派な構成要素として捉えることが要求されているのであって、ただの印刷上の空白域・余白では無いことを改めて認識しなければならない。

 なにをおいても汲まなければならない論点は、原著者の意図であり、伝えたいと原著者が願ったことへの配慮であろう。 これが他の一切合切よりも優先すべき最重要点であること、そしてこれが唯一の目的であるということを、改めて心に刻むことでなければならない。
 そしてなによりも、そのことが著者自身が何よりも望むであろう唯一の論点であり、全集や著作集を繙く読者にとっても編集者に切望する唯一無二の論点でもあるのだから。

2019年2月 5日 (火)

古書市会場で考えた

 昨日、記事を書いて床についたとき、もう一つ書き残したことに気付いた。 この寒い夜中に起き出して書き足すのも癪だ。 そうだ、もし、明日朝覚えていたら書けば良いではないか、思い出せなかったとしたら、それは大したことでも無かろうて、と言い聞かせて、昨夜は妙な安堵をして寝入った。 考えとは裏腹に、自分は恐らく覚えてなんかいるまい、どうしても書かねばならぬのなら、自分の性格からすると、何時であろうと、どんなことをしてでも起き出して書き終えるはずだからということが分かっていたからである。
 ところが、目が覚めてみると、意外にもしっかりと覚えていた! いやはや、私も些かしぶとい!

 話はこうだ!
 この十年近く前から、大きな野外での古書市で、旧家から出たであろう厖大な数の古文書の山が、あちこちで砂埃の中で悲鳴を上げているのに気付き出した。
 大学の研究室や、研究所では、保管場所も手狭になったり、教務からは嫌味を言われ、大学からは紙の山等にビタ一文の予算さえも振ってはくれず、就職先が気になる院生やポスドクの若者達からも、余程のことがない限り、地味で根気が必要であり、成果の保証が全く付いていない、訳の分からない和紙の山などへの関わりを嫌うようになってしまっている。

 何等かの事情によって、古文書達は、斯くの如き埃舞う路頭に追いやられ、奇特の士を往来に切望せねばならなくなったのである。
 勿論、様々な玉石混交の体を成す総ての古文書達に保護を与えることなど到底不可能ではある点は小生も十分に了解しているけれど、研究者やその卵たる者は、鍛えられた(あるいは鍛えられつつある)学識を駆使し、少しでも資料のもつ個別的な意味を読み解き、あるものは記録に留め、保護しなければならないものには保護を加え、時に後進のための教材にさえ役立て、やろうと思えば出来なくもなかろう。
 目の前で、消滅の危機に瀕し、徒に風に遊ばれて紙箱の中で怯える古文書達の墨痕が、舞う砂埃の中で、寂しげに私に悲痛な問い掛けを続ける。 私は自らの無力を恥じつつその場に立ち尽くし、暗澹たる気持ちが払っても払っても押し寄せてくるのをどうしようもなく眺めているしかない自分が腹立たしくなる。 (他方では、これらが甚だ高価で売り出されていることも、ある本質的な空しさを一際増大させている。)

 古文書達だけでは無い。 最近の野外で催される古書市では、売れなくなったかつての歴史的に重要な学問的文献でさえ、何の惜し気も無く、青天井の下で二束三文の一冊100円で山積みされ、客寄せの材料にされている(この機会に新しい庇護者に巡り会えなければ、彼等は書物としての役割を解かれる。だから、彼等には庇護のためのテントは初手から与えられていない。)。 予算の乏しい私などは、その餘慶に与るべく、セッセと出向き、昔買い損ねた書籍を探し、手目の良い重要書を研究予備の為に重いのを我慢し、歯を食い縛ってでも買って帰るには良い機会ではあるが、しかし、本来はこれらをもっと学生達へ行き渡るような何か別の手段や方法は果たして無いものであろうか、と何時も考える。(他方では、書物が来ても、指導できるまともな教員がいなければ極めて意味が薄いのだけれど!)
 しかし、先学が心血を注ぎ紡いだ重要な学問的遺産が、これまた、裁断と焼却の瀬戸際で空しく太陽を仰いでいるのを見るにつけ、悲しみが胸を突く。 もし、急な雨がきて、濡れでもするようであれば、間違いなく彼等はこの世からその書物としての姿を消されてしまう。 立ち竦み、ただ、溜息をつく。 これらの重要な学問的遺産が、何とか、誰か向学の士に無事届いて欲しいと、切に願わずにはおれない!

 人は嗤うかも知れないが、恩師の書物などは、嘗て、古書市で出会う度に、良いものは可能な限り、我が書斎までお出でを願った。 同じ書物を十何冊も買って、お出でを願った。 しかし、絶版になっている恩師のこの書籍は、実に様々な用途があり、この総てが現在使用中である。 次に出会う機会があれば、もう一二冊、是非お出で願おうと思っている。(恩師の書物が書架や台の上に並んでいるのに出くわすと、書物が話し掛けてくる、すると私は彼等をどうしても書斎にお招きしてしまう。 時に、どうだろう、と思うことも無くもないが、どうもこの癖だけは生きている限りどうしても治りはしないのである。)

2019年2月 4日 (月)

書肆の居心地の悪い世界なんて・・・

 所用があって大阪に出た。 用を済ませ、行きつけの古書肆に出向いた。 丁度二時過ぎぐらいであっただろう。
 書肆に近づくと何故か何時もと違って、閑散としていることに気付いた。 あれ、今日は臨時休業かな?と、思って入り口のシャッターに貼られている小さな文字が書かれている紙片に顔を近づけて読んでみると、今日の午後に当店は破産手続きを行い、某管財者の管理下にある云々と書かれていた。

 大阪でも小生が頼みとする有力な古書肆がもう幾つも姿を消した。 東京の研究会のついでに良く拠る神田や郊外の馴染みの書肆が、もう幾つも姿を消すか、その営業が変化しだしていて久しい。

 古書肆の方々と店先で話し込んでいると、どの書肆も一様に、「書物が売れなくなった」、「時に、一日中、学生の姿を見かけないことがある」、オマケに言うに事欠いて「やってくるのは、貴方のような老人くらいのものだ」というのだ!

 この現状の一番の極みは、社会科学系、経済系、とりわけMarx系が棚から動かないのだそうだ! だから、年寄りでも私たちがくると、少しは売れる!
 神田に関わらず、古書肆を歩けば、たまに来るからであろうか、上記の学系の書物が潮が引いて行くように、出向くたび毎にその棚数を減らして行っているのがよく分かる! 時に、全く姿が消える!!!

 まさか、多くの学生が、デジタル書籍を読んでいるか、図書館に入り浸っているようにも思えない。 早い話が、一体どの様に勉強しているのだろうか?、ヒョッとして今の大学では書物はもう勉学の手段ではなくなったのであろうか!!!

 そのような後ろ向きなことを考えながら、家路についた。
 帰って、書斎に入ると、小さな書店が出来そうなくらいの書物が一斉にニコニコと出迎えてくれる。
 本当に、老い先が手に取るような身近な距離になった今でも、未だに書物が次々と私の書斎にやって来てくれる。
 ゆっくりと机の前に座り、帰りを待ってくれていた書物を撫でてみる。 まるで、犬か猫のように、書物が喜ぶ。 ゆっくりと扉を開き、紙片がいっぱい挟まり、書込が至る所にあるその書物は、気紛れに開いたある頁の、偶然目があった行のところから、さっきまでそうしていたかのように淡々と私に話かけてくる。 口にふくんだフレンチローストのコーヒー豆の香りだけが、うっすらとだけ残り、時が溶けて辺りから消えてゆく。

«層をなすものの関係性の繋がりについての雑感