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2012年3月

2012年3月28日 (水)

山田文庫・山田盛太郎著作集を紐解くにあたって-13(仮5)(12年3/29加筆)

山田盛太郎氏の戦後の研究活動を鳥瞰するための基礎資料-10(仮5)

 回に続いて資料 : 『専修大学社会科学研究所月報』(第五回)をお届けします。

 今回(仮5)の掲載分は、『専修大学社会科学研究所月報』のNo.31号(1966年4月20日)からNo.40号(1967年1月20日)までです。

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2012年3月24日 (土)

山田文庫・山田盛太郎著作集を紐解くにあたって-12(仮4)(12年3/25加筆)

山田盛太郎氏の戦後の研究活動を鳥瞰するための基礎資料-9(仮4)

 回に続いて資料 : 『専修大学社会科学研究所月報』(第四回)をお届けします。

 今回(仮4)の掲載分は、『専修大学社会科学研究所月報』のNo.21号(1965年6月20日)からNo.30号(1966年3月20日)までです。

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2012年3月19日 (月)

山田文庫・山田盛太郎著作集を紐解くにあたって-11(仮3)(12年4/9加筆)

山田盛太郎氏の戦後の研究活動を鳥瞰するための基礎資料-8(仮3)

 回に続いて資料 : 『専修大学社会科学研究所月報』(第三回)をお届けします。

 今回(仮3)の掲載分は、『専修大学社会科学研究所月報』のNo.11号(1964年8月20日)からNo.20号(1965年5月20日)までです。

 山田先生が専修大学商経学部教授(後に経済学部教授)に就かれる(東京大学経済学部を定年退官された)のが1957年(昭和32年)、同大学を定年退職されたのが1967年(昭和42年)である。 そして再建された社会科学研究所所長を務められたのが1963年(昭和38年)から定年まで(1967年-昭和42年)であった。
 この間、二度の重大な病歴を克服され、かつ二度の重責をも担われた(→共に経済企画庁経済研究所での地域構造研究会と国民経済計算利用研究会の主査を歴任)。(中塚注:『著作集』第五巻の年譜を参照されたし)
 また、この期間に月報(会報)を発行するような二つの研究組織を持たれたことについては、当サイトの以前の掲載分において既に明らかにした。
 つまり下記のものである。

  『日本資本主義構造研究会会報』(計12冊)
     No.1:1960年(昭和35年)9月発行
         ↓
     No.12:1962年(昭和37年)9月発行
  参照 : 「山田文庫・山田盛太郎著作集を紐解くにあたって-4」

  『再生産構造研究会月報』(計12冊)
      I :1961年(昭和36年)4月30日発行
           ↓
     ⅩII:1964年(昭和39年)7月31日発行
  参照 : 「山田文庫・山田盛太郎著作集を紐解くにあたって-5」

 山田先生の日本資本主義の戦後段階分析への道程は、まさしくこの専修大学在任中にその形を整え、日々彫琢が施されていったのであるが、更に専修時代後において次の鉄鋼研究会という新たな研究段階を組織することで一つの結論部分への径を得ようとされた。 しかし、残念ながら私達はそれらの成果を現在共有することは出来ず、その中間報告、基礎作業の一部として龍谷大学『社会科学研究年報』に発表された「戦後再生産構造の基礎過程」と、幾つかの小品と多くの統計表、覚書類やメモ類等々が残された。
 (これらの仔細につきましては、『著作集』第五巻や別巻の該当資料、ならびにそれらについて書かれた諸記事をご参照ください。)

 今掲載中のこの専修大学時代の社研の月報、上記の各会月報や会報、それ以外の研究諸活動において印刷に付されたいくつかの資料や諸小品をとおして山田先生の日本資本主義の戦後段階(戦後日本資本主義論ではない)への眼差しを私達はそっと窺うことが出来、そのうえで、今までに公開された様々な研究成果や幾つかの未定稿を含む断片類等々から山田先生の日本資本主義の戦後段階についての一定の認識=結論部分を読み取ってゆくという困難な作業に取り掛かることが出来るようになる。 これによって、山田理論の一環を受け持つ歴史部分の中での日本資本主義論(戦前戦後を一体のものとして議論の俎上に合わせ載せるが、日本資本主義史または日本経済史ではない)と、現在を研究対象とする現状分析論へと到る径が確保され、加うるに最後の原理を扱う理論部分がそれを裏付け、かつ裏付けられる位置を受け持つことになる。 このように私は理解している。

 ここに、氏の理論部分と歴史、現状分析の各部分を一堂に揃えることで、山田理論の最終の姿となるべきものの全貌-ひとまとまりの体系-をやっと鳥瞰できるようになり、此処まで来ることで、初めて彼の全業績に対する批判と継承の舞台に漸く辿り着くことが出来たことになる。
 勿論彼によって提起された問題への取り掛かりには、受け取る方々の実に様々な立ち位置や個人的なものが大きく働くであろうし、一方で一部の方々が、あたかも彼の評価が既に確定し、その意義を失ったかの如くに吹聴され、しかもそれが流布している現状をみるとき、批判とか継承とか言っても、実に多様で様々なものがあり得ることへの理解は吝かではありません。 しかし、今一度、両の眼を見開いて、囚われなく良く読み直してみると、山田理論の中には、まだまだ、いろいろな意味で沢山の鍵が埋もれていることに気が付く。
 優れた理論は、読む人々にそれを乗り越えてみろと挑発する。 あなたのオリジナルを以て、私を乗り越えることが出来ますか、と執拗に問い掛けてくるのだ。
 かつて羽仁五郎氏が言われたように、学問の進歩は、オリジナルな見解によってのみ確保されるのだから。

PS:「オリジナルな見解がなければ、学問は進歩しない。学問上のオリジナルな見解にたいする政治的な官僚主義的な形式的批判や、学説のオリジナリティをあいまいにするフェアでない習慣は、学問の自由がまだ確立していないことをあらわしている。」(『明治維新史研究』羽仁五郎著、昭和31年岩波書店発行 「はしがき」p.v)[加筆:2012、04、08]

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2012年3月16日 (金)

本の思い出 (2)

 谷部文雄先生の鎌倉のご自宅へお伺いした時のことだった。 いろんな話をしている時、先生がお手持ちの資本論の各巻の初版本を書斎から持ってこられて見せて頂いた。 写真がよくいろいろな本に出ているあれである! こわごわ食い入るように見ながらお話を伺っていると、不意に、中塚君Marxを読む時にはね、ドイツ語の辞書がいくつかいるのだけれど、とりわけWilhelm Liebknechtが編纂した“Volksfremdwörterbuch”があるとね、すごくいいんだ、とおっしゃった。 そして、これの復刻版(リープクネヒト『外来獨逸語辞典』刀江書院、S38年)が日本で発売されているから是非買いなさい、と言われた。 明日にでも神田へ行って探してみます、と申し上げると、そうだ、君は青木から出している資本論初版の復刻版を持っているかい?、と訪ねられたので、いいえ、そのようなものがあるのですか、と答えると、やにわに電話を掛けられ、これから中塚君が行くから一冊やってくれないか、と何処かへ電話をされた。 電話が終わってから、いまね青木の社長に電話をしておいたから、明日にでも神田の青木書店へ行ってもらってきなさい、と言われた。

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2012年3月13日 (火)

山田文庫・山田盛太郎著作集を紐解くにあたって-10(仮2)

山田盛太郎氏の戦後の研究活動を鳥瞰するための基礎資料-7(仮2

 回に続いて資料 : 『専修大学社会科学研究所月報』(第二回)をお届けします。

 今回(仮2)の掲載分は、『専修大学社会科学研究所月報』のNo.2・3号 (1963年12月20日)からNo.10号 (1964年7月20日)までです。

 前回にもお断り致しましたように、この専大社研月報の資料掲載にあたっては、資料の膨大な量に鑑み、取り敢えず仮の掲載を行った上で、再整理をしたうえで改めて掲載をやり直すという申し訳ない異例な方法を採用致しました。 今回の掲載分もこの仮掲載分(第二回目)にあたるものです。 お見苦しい点も御座いましょうが、何卒ご寛恕賜りますようお願い申し上げます。

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2012年3月 2日 (金)

山田文庫・山田盛太郎著作集を紐解くにあたって-9(仮1)(12年3/13改訂)

山田盛太郎氏の戦後の研究活動を鳥瞰するための基礎資料-6(仮1)

 ※資料 :
  『専修大学社会科学研究所月報』

【参考画像】 『専修大学社会科学研究所月報』(表紙)

 田先生は、1957年(昭和32年)3月に東京大学経済学部を定年退官。 同年4月に専修大学教授(商経学部のちに経済学部)に就任され、1963年(昭和38年)9月の社会科学研究所再発足以来、2期4年に亘り社会科学研究所所長の職務を全うされ、1967年(昭和42年)3月末日をもって定年を迎えられ専修大学を退職された。 (以下、専修大学社会科学研究所は専大社研と略記する)

 『専修大学社会科学研究所月報』は社研再発足の1963(昭和38年)年10月1日付けでNo.1号(創刊号)が発行され、以来現在も刊行中である。 (以下『専修大学社会科学研究所月報』は『社研月報』と略記する)
 『社研月報』は専大社研の再発足の1ヶ月後にNo.1号(1963年10月1日発行)が創刊され、42号(1967年3月20日発行)までが山田先生の在任中に全41冊(号数は42号まであるが、No.2と3が合併号で1冊のため計41冊)刊行された。 この間山田先生は専大社研の所長に就かれ、当『社研月報』の発行者として巻末に「発行者」としてその名が記されている。 会報の裏表紙下部
には、発行者として次のように記されている。

   東京都千代田区神田神保町3の8
   専修大学社会科学研究所
  (発行者) 山田盛太郎
    電話(301)3671~5

 当資料は、山田盛太郎氏の戦後の研究活動を鳥瞰するための資料の一環としてここに掲載するものであり、本来的にはその全貌を復刻することが望ましいのではあるが、現時点においては様々な意味で不可能であるため、当稿筆者(中塚)の主観に基づき、必要と思われる部分を引用・配列することで、専修大学在任中の山田先生の足跡並びに研究活動の背景にあたるものをここに集め、山田先生の全業績を理解するための背景の一部として研究者に供することを志した。 当稿を読まれる諸兄姉におかれましては、当稿を読まれました後に、然るべき機関において当稿の種本である『社研月報』原本の閲読をお願いしたい。 『社研月報』は専修大学の紀要と共に贈られているとお聞きしているので、その所蔵機関は結構多いものと思われる。

 当稿の作成にあたり、専修大学経済学部佐藤博教授(当時)と京都大学大橋隆憲教授(当時)のお世話になりました。 改めてそのご厚情と暖かいご配慮を頂いたことに対し、厚く御礼申し上げます。

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