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2012年9月11日 (火)

山田盛太郎文庫付属資料についての調査報告(とりわけその中の抜粋資料について)(2012,9/14加筆)

 山田盛太郎文庫付属資料についての調査報告
  -とりわけその中の抜粋資料について-

 迄に日記等で断片的に書いてきたのではあるが、もう一度総括すれば、龍谷大学深草図書館に所蔵されている山田盛太郎文庫は、山田盛太郎氏の書斎に所蔵されていた数多くの書籍群からなる文庫本体と、氏の没後に書斎において発見された研究上の様々な過程で遺された種々の紙資料群からなる付属資料とによって構成されている。
 文庫の現状は、文庫本体は、現在、大学において収納時以来保管されていた別棟の倉庫から、深草図書館内の可動式書架に移され、研究者へ公開できるようにするための準備にかかっており、付属資料は整理され保存のためのあるべき措置について構案の段階にある。

 庫本体は書籍の修理を始めとする保全、管理上の懸案が残されてはいるが、整理上の問題点はじつは付属資料群にあった。
 付属資料はその外形的性格により、大雑把ではあるが次のように分類することが出来る。(これらの付属資料は文庫本体もさることながら、それ以上に痛みが激しく、保存上、閲覧上における様々な問題点をもっており、それへの対処が現在の懸案となっている。)

1)研究誌、雑誌、書籍から必要な箇所を抜粋した物(抜粋と言えば聞こえがよいが、山田先生には申し訳ないが、どちらかと言えば元の書物から引き千切ったと言えばその現状を指す一番適切な外形上の表現となる)
2)小冊子
3)地図(便覧タイプの旅行用の地図から国土地理院作成の詳細地図まで多様な構成)
4)古文書類(一部旧幕期から近世までのオリジナルまたはコピー)
5)研究上の資料(小冊子を含む)
6)農村現地調査のための調査票(戦後農地改革時の農村実地調査において現地で書かれた調査票のオリジナル、但し、部数は少ないが、当時何をどのように聞き取ったかを知ることが出来る)
7)山田氏の論文抜き刷り
8)山田氏による研究報告のための小冊子
9)山田氏による授業や講演等に於けるレジュメ類
10)山田氏による統計表
11)その他

 この付属資料の内、主に問題が生じたのは1)においてであり、以下報告の重心を1)に移す。

 1)の形態は前述の通り、雑誌掲載の論文や論文集等に掲載の論文から必要な論文だけを抜粋された(抜き取った)ものから構成されている。
 その内容は、『序論』や『分析』の執筆前後の過程において集められた諸資料から始まり日本資本主義論争に関わるもの(戦前から戦後にかけて)が多数を占め、他に理論的・学史的なもの、時事的なものから構成されている。

 個々の抜粋論文を見ると、それだけがゼムクリップや針金、等でバラバラにならないようにされてあるものと、左右どちらかの端(本文の流れによって左右を異にするが所謂背側)に千枚通しで二つの穴が空けられているものが存在した。 穴は一方の穴が上から空けられたものであれば、もう一つの穴はその反対の下から(つまり、一度引っ繰り返して上から)空けられている(これらは穴に残る紙の痕跡からそのようなことが言える)。
 これらのものを列べて注意深く観察してみると、手で、しかもどちらかと言えばあまり器用に空けられなかったこれらの穴からは極めて特徴的な在り様を読み取ることが出来る。

 穴のあいた抜粋を列べて、同じ穴の形状をしている抜粋をグループに分けると、幾つかの集団が形成できることが分かってきた(一つの集団が纏めて千枚通しで開口されたことを示している)。 また、千枚通しを使い、手で穴を空けたことで、場合によっては並びの順序が類推できるものもある(紙の潰れ具合が上のものと下のもので微妙に違うことで分かる)。
 また、極めて少数ではあるが、抜粋されたものが麻紐で結束された状態で現在存在するものがあり、これらを見ていると、上記の幾つかの穴の空けられた抜粋物の集団は、元々それぞれがこのような紐(場合によっては針金で)によって結束されていたものであって、何らかの理由(勿論山田先生の没後において)でその紐が外されて、現状の個々バラバラになってしまったものであることが1)の総てを点検することで判明した。

 さらに、よく調べてゆくと、少数ではあるが、抜粋論文の一部に表紙と覚しき紙片(原稿用紙やグラフ用紙の裏側が用いられていた)が付けられているものがあり、ここに幾つかの論文の標題が書かれていることから、この紙片は元の束にされたものの標題が一つ一つ書かれていたものであることも、これらの残りの抜粋論稿を合わせてみると穴の形状が一致し元々の一つの論稿の束がこのような形態で存在していたことが確認できた。

 これらの与件から、1)について総括的な報告をすれば、次のようなことが言えるのではなかろうか。
 もともと、山田先生の書斎においては、雑誌論文からの抜粋論文が標題を書かれて纏まりのある束としていつでも見ることが出来るような仕組みがあったのだと。
 他方、1)の中で結束されずに単独で存在している抜粋論文はどのような形で、ただ単に、上記で確認された束と共に重ねられていたのであろうかという疑問が残った。
 【補足】 束ねられなかった物とは、例えば、猪俣津南雄氏のように一論稿しか所蔵されず、かつ束ねられてもいない物もあれば、櫛田民蔵氏のように多数所蔵されている中で、束ねられた物もあれば、束にはされず単独で存在し利用されていたと思われるものもある。

 ところが、先日文庫本体を点検中、向坂逸郎氏の『日本資本主義の諸問題』(昭和22年黄土社版)を手にした時、中に一枚の紙片があることに気付いた(既に何度も点検していたのではあるが、見過ごしたか、あまり気にならなかったようだ、汗顔の至りである)。
 この紙片は二百字詰めの原稿用紙(大体B5サイズ位)を横にしてその裏側に真ん中より少し上に「論争(日本資本主義)」と書かれていた。 さらによく見るとうっすらではあるが、麻紐のようなもので十文字に結束した痕跡を読み取ることが出来る。
 紙片の右端は紙が焼けてぼろぼろになって、その先の部分が無くなっている。 焼けた紙の部分は少しでも触れればボロボロと崩れてしまうくらいの情況で、この先の紙片は今後文庫の何処かで発見できなければ、その形態や情況は不明である。

 しかし、良くこの紙片を観察すると、結束の十文字の位置が左上に偏芯しており、もしも山田先生がこの紙片を結束物の下端に合わせられ、結束を中央に十文字に組まれたのであれば、組まれた“もの”(それが書籍か抜粋或いはその束等であるのかは不明であるため“もの”とした)の大きさを類推することが可能になり、そのような仮定に立てば、結束物は縦が約21から22cm、横は約14から15cmとなり(厚さは右半分が不明のため分からない)、これは一般雑誌や一般書籍のサイズとなる。(以上は結束点から紙の下端までが約11cm、結束点から紙焼けの右端までが約7cmと想定した)

 以下はかなり個人的且つ想像的仮説に基づくものであることを先ず申し述べた上での話であるが、この紙片から次のような事柄を想像し、仮説を立ててみた。

 山田文庫付属資料中の1)において、(主に『分析』の記述に関する)論争的な多くの記事や論文は、単独のものも束にしたものも、ある時期にこれらの集められた総ての関係資料を、この紙片を見出しとして作成して纏めて結束し、書斎の中に積み上げられたのではないのだろうか、という仮説である。 現在未発見の紙片の右端の情況は不明であるが、此処にも恐らく同じ文字、「論争(日本資本主義)」、が書かれていて、外からでもこの束が何なのかが分かる仕組みをもっていたが、結局再びこの結束が解かれることが無く、龍谷大学図書館への収蔵の過程で結束が解かれ、焼けた紙片部分はボロボロになっていたため失われたのだ、と。

 一部仮説を交えての話であったが、この仮説を仮に抜きにしても次の留目すべき疑問点と事柄を指摘することは十分許されるであろう。

 第一点は、何時この結束はなされたであろうかということ。
 この結束物が抜粋物か書籍かは別にしても、論争関係のものを纏めて結束されたと言うことは、ある時点でこれらのものを纏めて整理される時期があったのである。 この時期は何時であったのだろうか。

 第二点は此処に書かれている標題中の「論争(日本資本主義)」と言う表現である。
 文庫本体においてもそうであるが、山田先生は所謂日本資本主義論争を始めとして、山田先生への論点が書かれた多くの書物は良く集められており、1)においても、論点が書かれた論文・論稿は実に精力的に集められ、良く読まれた形跡をもっている。 従って、これらの論争に関わる抜粋論文・論稿の束が一つに纏められて保管されていることは極めて自然な成り行きとして想像してもおかしくはない。
 更に、この紙片が示しているものは、結束されたものが単に論争に関わるものであるというだけではなく、山田先生がこの論争について「日本資本主義」論としての視座からこれらの論争を捉え見ておられた(このような観点から、結束された諸論文を読まれていた)ということを如実に示すものであって、決して「日本資本主義発達史」論や「日本資本主義史」論としては捉えられてはいないのだということを改めてこの表記は語り掛けてくるのである。

 本当に残念なことであるが、私が個々の書類の束や上記の標題の結束物をご自宅からの搬出の段階から携わっていたならば、これらの全貌について正確な記録を作ることが出来たのであるが、移動と整理が基本的に終了した後で、しかも当時の関係者が不明であったり、聞き取りが出来ていないこともあって、ある程度の想像と数少ない物証を元にこのような形での報告とならざるを得ないことが残念ではるが、例え論点への想像・仮定があるとしても、重要な論点については的は外れていないと思っている。

 これらの付属資料、とりわけ1)の抜粋資料群には所蔵者の読書痕が残されている。 他方、文庫本体の方にも多くの読書痕を見ることが出来ることから、これらの一見焼けた紙の山である1)の抜粋資料は、じつは文庫本体の書籍と共に、山田理論を紐解く上での極めて貴重な資料であったのだと言うことを改めて認識することが出来た。

 最後に上記の論稿を記載するうえでの写真資料を掲載しておこう。
 個々の抜粋論稿がどのような形で存在したのか、表紙のあるものはどのようなものであったのかということの全貌は最早知るよしもないが、この写真により、大凡の概要を知ることが出来る。

ゼムクリップで留められた単独の資料例
豊田四郎氏資料 (右下の論稿に紐で結束した痕跡が見える)
山田勝次郎氏の地代論(表紙と紐)
櫛田民蔵氏資料 (単独で針金で結束されている)
針金による結束
表紙が付けられた抜粋稿束の例-1
表紙が付けられた抜粋稿束の例-2

[2012,09,14] 補足を加筆

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