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2012年10月15日 (月)

経済学原理の世界から-先生の読書痕を追い掛けて-『資本論』(2012,10/18加筆)

 田ゼミでの目標は、現状分析・理論・歴史の鼎立、であった。

 先生から些か乱暴な表現だと叱られるかも知れないが、社会科学の第一目標は今現在を紐解きその構造を白日の下に晒すことであり、そのための解剖用具を理論として用意し、依って来たる運動の軌跡を歴史の上で確認するのだ、という理解の仕方を今でも私はしている。

 なかでも理論の学習、解剖用具を研ぎ澄ますための訓練には、常に厳密性を要求されたため、初めのうちは終わると緊張感が一挙に解れ飛んで倒れ込み、本当に木陰で一眠りしたくなる程の表現できない脱力感に襲われた。
 脳味噌が加熱して燃えるかも知れないくらい何度も繰り返して本を(→『資本論』)読んで、それなりに意気込んで発表しても、いつも頂くのは“駄目だ”!なのだ。 帰り際に先生がニッコリ笑っておっしゃるには、しっかりと勉強ができていないから十分な理解に達しないのだよ!で何時も終わる!

 雑談に深入りしない間に閑話休題といきましょう!

 量や質等ではなく、また、けっして目を見張るような折り紙が付けられているわけではないが、山田文庫には辺りを払うが如き一つの核として位置づけられた書物が収められている。
 『資本論』である。
 山田先生が常に依拠せられた『資本論』は生涯Engels版であった。 これを補うものとして幾つかのドイツ語の版本が用意はされてはいたが、これらの多くは他の研究者が依拠せられた場合の参考図書として置かれていたように思われる。
 邦訳も何種類かを所蔵されておられるが、良く読み込まれていたのはやはりEngels版を底本の一つとした改造社版の高畠素之氏の訳であり、他の邦訳書はドイツ語版の場合と同じく参考図書として都度必要に応じてご覧になったように見受けた。

 山田盛太郎文庫の中で、外見が最もみすぼらしいにも拘わらず、文庫の中で最も輝かしい光彩を放つ書物がEngels版の『資本論』ならびにそれを囲むものたちである。

 田先生は決して書物をコレクションとしては扱われず、必要以上の書物は手元には置かれなかった。
 高価な書物でも、必要に応じては書物を分解してでも読み易いように持ち歩かれた。 本はあくまでも読むべきものだという考えを常に保持されておられた。
 だから、弟子が読むために書物を買おうとすれば実に懇切にアドバイスを受けることができた。

 山田先生は、必要と考えられたものは惜しみなく集め所蔵されておられるが、必要以上の集書は常に禁欲された。 文庫をじっくりと眺めてゆくと、どうしてもこの視角に辿り着く。 『資本論』も文字通りこの範疇にあたる。

 山田先生が何時『資本論』を手にされたのかははっきりと分からないが、文庫にある限りの書物から見れば、書き込まれた購入の日付(戦前の書物には先生のサインと購入の年月日が記録されている)等からみて、英語版が真っ先に紐解かれたようである。

 先生所持の英語版は、所謂Sonnenschein版ではなく、1919年出版のChicagoのCharles H. Kerr & Companyによる版(所謂Moore-Aveling訳Kerr版あるいはUntermann版)で、見返しにM.Yamada 21.5.11と署名され、この本が大正10年(1921年)5月11日に購入されたことが分かる。 また、三巻共に同じサインと日付があることから、三巻を同時に購入されたことも分かる。
 ちなみに、山田先生が大正9(1920年)年9月に東京帝国大学経済学部経済学科に入学されたことから、英語版を購入された大正10年(1921年)5月11日は一回生の後期(23歳)にあたることが分かる。
 この英語版の第一巻の見返しにはもう一つの書込がある。 そこには「第一回読了 1921.8.4. 午前9時」と書かれており、大正10年(1921年)8月4日の午前9時にこの本を読み終えたと書かれているのだ。 つまり、5月11日に購入されて、同年の8月4日午前9時に読み終えたというのである(つまり、買って帰った日と読み終えた日を入れても86日間で読み終えたことを指す)。 ちなみに第二巻、第三巻の見開きにはこの「読了」の書き込みは無かった(だから「読了」というのは第一巻だけなのか全三巻を指すのかは分からないが、「午前9時」という文字に容易に収め難い程の胸の高鳴りを覚えた)。

 英語版を購入された約一年後に待望のドイツ語原版(HamburgのOtto Meissners Verlagから1921年出版されたEngels版)を入手された。
 英語版と同じく見返しにM.Yamada 22.4.21とサインされいることから、大正11年(1922年)4月21日に購入されている。 残念なことに第一巻のあまりの惨状を見かねた図書館(龍谷大学)による修理のために第一巻の元の有様や見返し部分は失われてしまった(昔第一巻を拝見したことがあったが、それはまるで残骸のような有様であった)のであるが、第二巻、第三巻の日付が同じであるため、恐らくこの三つの巻も同時に購入されたものと考えて良いと思われる。
 Engels版購入の大正11年(1922年)4月21日は山田先生は大学の二回生の後期(24歳)にあたる。
 Engels版第一巻の見返しが失われたため、そこに「読了」日が書かれていたのかどうかは今となってはもはや分からないが、第二巻、第三巻の見返しにはそれらの記述はない。

 Engels版は文字通り徹底的に読まれた。 書物がバラバラになり書物の体を成さないくらいに限界を超えて読まれた。
 これらは、『経済学論集』(旧版)に「価値論に於ける矛盾と止揚」(大正14年[1925]10月30日稿了)、「生産論一断片」(昭和2年[1927]11月25日稿了)を生み、後年(昭和6年[1931]
)、『再生産過程表式分析序論』(中塚注:原著は「表式分析」が割り注方式で書かれている)を理論研究の成果として結実させ、ここにほぼ現状分析の解剖用具が研ぎ上がることになる。

 英訳のKerr版とEngels版以後に外国で出版された『資本論』で全三巻が揃っているのは戦後のMEW版による所謂Dietz版(購入年月日不明)のみであるが、これは参考図書に位置するものであったようだ。
 英語版はKerr版のみであるが、独逸語版による他の版本はKautsky版が第一巻(1928年6月13日入手)と第二巻(1929年2月9日入手)があるものの第三巻は見当たらなかった。 この版本も参考図書に位置していたようである。
 また、所謂Adoratskii版(または研究所版、1933年製のソ連製であろうか)(購入年月日不明)の第二巻のみが一冊だけ所蔵されている。 そして、MEW版の第23巻にあたる第一巻(購入年月日不明)が一冊だけあるが、後続の第二巻、第三巻にあたる全集版の『資本論』は見当たらなかった。
 さらに、独逸語版では他に下記の特殊な三冊が所蔵されているが、これらの書物も参考図書とみなして良いであろう。
○青木書店による復刻版『資本論』初版(購入年月日不明)
○Engels版『資本論』第一巻第4版(1890年発行、Engels校訂の最終版)
 (大正15年[1926]7月と見返しに記載がある)
Engels版『資本論』第三巻(1894年発行のEngelsによる初版)
 (大正15年[1926]7月と見返しに記載がある)
 後ろから二つのEngels版『資本論』は恐らく最初に買った『資本論』が書込等で書物としての限界を超え、原形を留めなくなって、バラバラになってしまったためにその控えとして購入されたものと思われるが、第二巻が見つからなかったのは、何らかの理由で無くなってしまったのか或いは手に入らなかったのか、読み込まれた第二巻がまだ少しは原型を保っていたからか敢えて買われなかったかであろう。 共に大正15年[1926]7月に購入されたものと思われるが、見返し記載の年月日の日が欠けているのは何故なのだろうか、場合に依れば購入ではなく別の形による入手の可能性があるがそれを示す資料がない
。 最初の青木書店による復刻版初版は首章と付録の原文を見るために古書店にて購入されたものと思われる。

 邦訳は高畠素之氏の訳になる改造社版が購入された。 この本の見返しにも購入記録が存在するが、年のみで月日の記載がないが、第一巻の第一分冊と第二分冊が発売と同じ昭和2年(1927年)に、第二巻と第三巻の二つの分冊は発売と同じ昭和3年(1928年)に購入されたことが分かる。
 この高畠訳も良く読み込まれた読書痕が認められる。
 邦訳で『資本論』を完訳されたものとしては次のものが所蔵されている。 長谷部訳は必要に応じて読まれたようであるが、高畠訳程の読書痕は遺されなかった。
○長谷部文雄訳青木文庫版『資本論』。 第一分冊から第十三分冊と索引。 この青木文庫版には青木書店からの贈呈の書き付けがあるが、全巻を贈呈されたのかどうかは不明。
○大月書店版国民文庫版『資本論』。第一分冊から第十一分冊まで。 国民文庫版にも大月書店からの贈呈の書き付けがある。 ほかに、邦訳MEW版と同じ紙型で刷られた大衆版の『資本論』全五冊が所蔵されている。
 山田文庫にある邦訳『資本論』で完訳ではないが大切に所蔵されたと思われるものに、河上肇・宮川實訳の改造社版『資本論』第一巻上冊(昭和6年5月18日発行)があるが、購入年月日は不明である。

 以下購入(或いは入手)年月日が分かるものを古いものから順に列べると次のようになる。
○1921年(大正10年)5月11日 英語版『資本論』全三巻
  (Chicago、Charles H. Kerr & Company 1919年発行)
○1922年(大正11年)4月21日 独逸語版『資本論』全三巻(Engels版

  (Hamburg、Otto Meissners Verlag 1921年発行)
  (三巻共に1921年発行であるが、第一巻は第9版、第二巻が第6版、
   第三巻が第5版。)
○1926年(大正15年)7月 独逸語版『資本論』
第一巻
  (Hamburg、Verlag von Otto Meissner 1890年発行 Engels版・第4版)
○1926年(大正15年)7月 独逸語版『資本論』
第三巻
  (Hamburg、Verlag von Otto Meissner 1894年発行 Engels版・初版)

○1927年(昭和2年) 改造社版高畠素之訳『資本論』第一巻
○1928年(昭和3年) 改造社版高畠素之訳『資本論』第二巻、第三巻
○1928年(昭和3年)6月13日 独逸語版『資本論』(Kautsky版)第一巻
  (Berlin und Stuttgart、J.H.W.Dietz Nachf. G.m.b.H. 1923年発行 第7版)
 Ryazanovが巻末に書いたRegisterが読まれている。
○1929年(昭和4年)2月9日 独逸語版『資本論』(Kautsky版)第二巻
  (Berlin、J.H.W.Dietz Nachfolger,G.m.b.H. 1926年発行 初版)
 Kautskyの序文Vorwort zur Volksausgabeが読まれている。

 購入(或いは入手)年月日が分からない独逸語版は次の通り。
○所謂Adoratskii版(または研究所版、1933年製のソ連製か)の第二巻
○Dietz版全3巻 第一巻(1962年)、第二巻(1963年)、第三巻(1964年)
  (Dietz Verlag Berlin)
○MEW版第23巻、『資本論』第一巻(1962年)

  (Dietz Verlag Berlin)
○日本における復刻版ではあるが『資本論』第一巻、Meissner版初版
  (青木書店 1959年2月15日発行)

 購入(或いは入手)年月日が分からない邦訳版は次の通り。
○河上肇・宮川實訳『資本論』第一巻、上冊
  (昭和6年5月18日、改造社発行)
○長谷部文雄訳、青木文庫版『資本論』 全13冊と索引一巻
○大月書店版国民文庫『資本論』 全11冊
○大月書店版大衆版『資本論』 全5冊

【PS】 Engels版『資本論』の映像 (2012,10,18 加筆)
Engels版第二巻に挟まれている手稿
Engels版第二巻と第三巻

【追補】
 1921年発行のEngels版第三巻からは第6篇のうちからSiebenundvierzigstes Kapital. Genesis der kapitalistischen Grundrente.全体が取り外され、原稿用紙にくるまれてゼムクリップで留めてある。 そして、これに該当する高畠訳の改造社版からもこの第47章の全体が外され、同様に原稿用紙にくるまれてゼムクリップで留められている。
 よく手に馴染んだ原稿用紙の表紙の具合や遺された本体の状態から推察すれば、まず最初に読まれ基本的な書込がなされたのであろう。 次に第47章全体が抜粋され、持ち歩いてでも読むために原稿用紙の表紙が付けられ、参考のために高畠訳も同様の操作が成されたのではあるまいか。
 Engels版の表紙には控え目にGenesis der kapitalistischen Grundrente.と標題が書かれているが、高畠訳の表紙には標題は書かれなかった。

 ※ 抜粋箇所
○Engels版『資本論』第三巻、zweiter Teil. s.315-348
 Siebenundvierzigstes Kapital. Genesis der kapitalistischen Grundrente.
○高畠訳改造社版『資本論』第三巻、下 p.322-351
 第四十七章 資本制地代の發生

【PS】 抜粋部分の一部映像 (2012,10,18 加筆)
Engels版、s.324-325
高畠訳改造社版、p.330-331

[2012,10,18] Engels版と抜粋部分の映像を追加

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