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2013年3月17日 (日)

『回想の河上肇』

 田文庫の書架へ出入りするようになってどれくらいたった頃だろうか。 書架の間を行ったり来たりする間に、ある小振りな書物が下の方の棚の隅っこから時々ふと私の注意を引くのに気がついた。
 見るからに質素なその身なりからは、その本をわざわざ書架から引っ張り出すまでもなく、戦争後の物資の乏しい折に出版されたものであることは直ぐに見て取れた。
 ひっそりと佇むその本はまるで表紙が無いかのようなまことに名ばかりの薄い紙で出来ており、背表紙も紙が一枚貼り合わせてあるだけで、よく言えば現在のペーパーバックスのようなその外見からは、ある意味親近感すらも感じられた。 天の焼け具合からは、恐らく中の料紙も開いてみるまでもなく極めて質素なものであろうと想像できる。
 薄暗い書架の間ではあったが、身を屈めて少し焼けてやせこけたその背表紙を覗き込むと『回想の河上肇』という表題が読み取れた。 恐らく河上先生ご逝去の折に、有志の方々によって纏め上げられた追想録ではなかろうかと想像できたのだけれど、なぜかその時は一度手にとっては見たが直ぐには開いたりはせず、そのまま書架に戻した。 ただ、大変軽い、という手の感覚が妙に脳裏にこびりついた。

 般、何時ものように調べ物をするために引き出した書物を書架に戻した後、何気なく目をおとした折に『回想の河上肇』という表題が目に飛び込んできた。 反射的に腰を屈めた私は、そっと書架から引っ張り出し、初めて頁をパラパラと捲った。 目次にはお目にかかったことのある懐かしい何人かの先生方や、名前をよく知っている方々が連なっており、想像した通り河上先生の死を悼まれた方々による追悼文集であった。
 明かりを求めて立ち上がり、眼鏡を掛けて知っている先生方の頁を片っ端から追いかけた。 頁を繰ってゆくと、そこにはまた山田先生が引かれた傍線も残されており、それぞれの方々が記された内容と相まって私はこの書物の中にぐんぐんと引き込まれていった。
 正直、河上先生の息吹を伝えるものとしては、主に岩波から出ていた全集の『自叙伝』とか日記や漢詩の本や、お内儀が書かれた留守日記や獄中の記録等々、どちらかと言えば文学的なものばかりしか私の書架には置いてはいなかった。
 山田先生はかつてご自身の著書において河上先生を批判をされたことがあったけれど、常に深い尊敬と敬愛の念を河上先生に抱いておられたことは日常の様々な振る舞いの中で易く読み取ることが出来た。 入門の折に名前を申告し自己紹介すると、「河上先生と同じ名前ですね」と言われニッコリとされたことが大変印象深く今でも忘れることが出来ない。(恥を忍んで書けば、その時私は河上先生という方がどの様な方なのかを全く知らなかった)

 それでも私が河上肇にのめり込むことになったきっかけは山田文庫の中で数は多くはないが河上先生の息吹に初めて直接触れたことに全て端を発するのである。
 私は山田文庫に携わるようになって、今まで手にとったことのない様々な書物を先生の蔵書からお借りし、引っ張り出しては恐る恐る読ませて頂いた。 とりわけ河上先生の学術書籍は今まで触れる機会がほとんど無かっただけに、開いた最初の頁から一字毎に読む者をして直ちに居住まいを正さしめるに足る程の言い知れない重い緊張感がズシリずしりと音を立てて伝わってくるのを感じた。
 河上先生の書物を辿ってゆくと伝わってくるのは河上先生の迫るようなその気迫である。 しかも気迫に急かれて進むにつれて思わず身震いがしてくる。 それを誰も訪ねてこない薄暗い書庫の奥の棚の間で、小さな文机に向かってたった一人で座って読んでいると、そこはかとなく鳥肌が立ってくるのが自分でも分かる。
 戦後、河上先生は時の経過と共に経済学の世界からは文字通り過去の人として扱われ、文学者などと嘯く御仁が現在は掃いて捨てるほどおいでになる。
 しかし、注意して頁を辿ると古くなったとか、時代遅れ等というような陳腐で軽い言葉は消し飛び、滾るような気迫と、如何なる些事もゆるがせにはしないと凝視される彼の眼差し、注意深く丹念に展開されてゆく論旨には人を引きつけて止まないものが数多く待ち構えているではないか。

 学問の世界も決して停滞したものではないので、新しい現象や発掘された事実、新たな論理的展開の試み等の集積によって過去の幾多の研究成果が乗り越えられてゆくのはある意味当然のことで、この批判と継承、更なる高見を目指す切磋琢磨の運動が消滅してしまったならば、それは残念ではあるが学問が死んだことを意味するのだとおもう。

 河上先生の築かれた具体的な幾つかの業績が、現にその後乗り越えられてゆくのは当然としても、彼の気迫と学問に傾注された論理的な眼差しにはまだまだ私たちを引きつけて止まないものが沢山その著作の中に埋もれていることに気付かされた。
 「今、河上先生に夢中です」等と私が言おうものなら、多くの方々が、とりわけその方が小生に好意的な方であればなおさら、もどちらかと言えば困ったような顔をされるのが落ちであろうが、なぜか私にはそのように思われれば思われる程、不思議と気持ちが楽になる


 『資本論』の有名な第一章冒頭の部分を最近までの全ての刊行本で比較して頂ければ嬉しい。 ここで私は単に言葉の言い回しのことをどうこう言っているのではありません。 マルクスの表現にしゃにむに食い付く彼の姿勢が鳥肌がたつ程、他の訳者とは比べものにならないくらいの気迫の差があることを他の版本と比べて読み取ってほしいと言っているのです。

 山田文庫に通うようになって、私は今までの態度を改め、河上先生のものを始め実に多くの書物を必死になって買い集めるようになった。 山田先生の教えを守って結構集書には禁欲して臨んでいたそれまでの私をかなぐり捨ててである。
 先生の読書痕を書き写す課程で同じ書物を何冊か購入した。 決して高価なものは買うことができないが、如何なる努力も厭わず、買えそうなものを草の根掻き分けて必死に探し出して一冊でも多くを憑かれたようにして買い集めた。 探したものとして特に書き留めておくとしたら、『分析』の戦前版の各版(残念ながら第三刷は未だ良いものがに見つからない)、高畠訳の改造社版の『資本論』(戦前と終戦直後の文献における引用箇所を正確に早く知るために)、しかしなんと言っても共に河上先生による改造社版の『資本論』と『資本論入門』を不思議と探し出せたのだった。
 もし山田先生がご存命であれば、まかり間違ってもこのような書物の集め方には絶対にならなかったであろう。 そのような私の行為が知れてしまえば、ただの本集めに堕すれば学問の本筋を離れるぞ!と呼ばれて叱られてしまうからだ。

 『回想の河上肇』によって初めて開くことが出来るようになった世界は本当に新鮮であった。 この本に回想録を寄せられた方々の鼓動を傍らに感じ、また山田先生の声を背に受けつつ、『資本論』と『資本論入門』の扉を開くことが出来るようになったのだ。 言葉には表し難い感謝と恩恵を感ぜずにはおられない。 決してお目にかかることはできないけれど、河上先生からはまだまだいろいろなことをお教え願うことになるだろう。

 ある朝、薄い郵便物が拙宅に届いた。 やっと『回想の河上肇』が私の書斎にやってきたのだ! もどかしく封を開き、袋から本を取り出すと、本当に弱々しく、干涸らびた古い本が出てきた。 手を添えると、本の向こうには今は亡き多くの懐かしい先生方のにこやかな姿を感じとることができた。

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