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2015年9月27日 (日)

東京帝国大学経済学部 昭和五年夏学期  第二外国語経済学受講者ノートについての最終報告(2015,10,11 改訂)

 年6月、政治経済学・経済史学会の春期学術大会に出席するのに併せて、これまで長々と放置していた東京に出掛けなければ解決の出来なかった諸懸案事項を一気に遣り遂げようと意気揚々と出掛け、四日間それ相応に走り回り、重要な方々とお会いし、訪問しておかねばならかい所にもほぼ隈無く出掛けた。

 ここまではほぼ満点であったのだけれど、この強行軍は私の心身を想定以上に疲弊させ、追い打ちを掛ける様に、その後の不順な天候は私の足を引っ張り続け、数々の不定愁訴に苛まれることになった。

 しかし、甲斐あって、今年の東京行きでは数々の、場合によっては思いもしなかった成果を大量に私にもたらした。 今迄、見ることも叶わなかった資料もこの目で確認が出来、先学からも、多くの事項についてお教えを受け、丁重なおもてなしを受けてこれまでどうしても未確認であった諸事項をも確認することが出来た。

 この小論の表題である、「東京帝国大学経済学部 昭和五年夏学期  第二外国語経済学受講者ノート」は以前からこのサイトにも記事を何度か掲載し報告してきたのであるが、この小論の一部保留事項はなかなか解決出来なかった。  これを解決する鍵は実はこの東京での確認作業にかかっていたが、今回は、それをほぼ達成出来た。

 この小論は、既に殆どの本文が出来上がっており、しかも、確認作業の熱気が冷めないうちに原稿への追加或いは書き直しを本郷の旅館で夜遅くまでかかり手直しと確認までしていたのだから、本来ならば、帰宅後、直ぐにでも最終調整をして公表が可能なはずであった。

 それがどうしたことか、帰宅すると、頭の片隅には意識と記憶は残っていたのだけれど、体がついてゆかず、最近になってやっと正気が戻り始めるまで、原稿は三ヶ月余りノートPCの中に放置されたままで、それすらも意識からは虚ろになりかけていた。
 暑さも少しずつ収まり始め、それに応じて少しずつ正気が戻り始めたため、作業したことだけは間違いなく記憶していたので、慌てて探し出し、改めて全体に目を通し、本日ようやく完成致しました。 大変遅くなり、実に汗顔の至りでは御座いますが、下記に掲載いたします。 不悪。

 必要な箇所だけでも良いかと思ったが、所々に改訂があるし、一から書き直すよりも改めてほぼ全文を掲げることに致しました。 申し訳ございませんが、文中の一部に、このnet上では上手く表記できない箇所も有りますが、正式版の内容だけは伝わる思います。 龍谷大学深草図書館にこれから収めるこの映像資料には、小稿の現物も添えられていますので、正式版はそちらを見て頂くことになると思います。

  覚書

 東京帝国大学経済学部 昭和五年夏学期
 第二外国語経済学受講者ノート

  
講師:山田盛太郎助教授
  受講者:奥山清四郎氏

 当資料は、下記の施設に所蔵されている下記の原資料を電磁記録したものである。
資 料 名:『第二外国語経済学受講者ノート』
資料保管施設名:龍谷大学深草図書館(山田盛太郎文庫付属資料内)
資料保管施設所在地:京都市伏見区深草塚本町67
資料記録日時:2013年(平成二十五年)3月27日(受講録全体像)
         :2015年(平成二十七年)9月28日(受講録頁部分)
資料記録者:中塚 肇
 資料作成にあたり使用した器材、作成ファイル名、編集プログラム
使用器材:Epson Scaner GT-S640
作成ファイル名:JPG ファイル

 この受講者ノートは、龍谷大学深草図書館所蔵の山田盛太郎文庫付属資料中の一資料であり、山田盛太郎氏が助教授として東京帝国大学経済学部在籍中に担当された第二外国語経済学の受講者である一学生(奥山清四郎氏)から、昭和5年の夏学期終了後に提出された受講ノートである。ノートは長らく山田氏の自宅書斎に於いて保管されていたが、山田氏逝去の後、その所蔵されていた蔵書や諸資料が龍谷大学深草図書館に収められ、その整理作業中に発見された。

 受講者の奥山清四郎氏については、『東京帝国大学一覧 昭和五年度』(昭和5年7月5日、丸善株式会社発行)のp.534の上から二段目に、昭和5年の経済学部への入学者名簿中に奥山清四郎氏の名前が掲載されている(この資料からは奥山氏が山形県の出身であり、また、下記の経友会『會員名簿』からは[旧制]山形高等学校を卒業されて東京帝国大学経済学部に入学されたことが分かる)。(編集者注:上記資料の画像は、当CD中のファイル「#当資料について」の中にJPG ファイルで格納されている)
 また、昭和五十五年度・五十六年度版の東京大学経友会の『會員名簿』のp.89の上段には奥山清四郎氏が昭和8年3月に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業され、昭和56年に於ける最終経歴が東京独立新聞社主筆である旨を確認することが出来る。(編集者注:上記資料の画像は、当CD中のファイル「#当資料について」の中にJPG ファイルで格納されている)

 この間、奥山氏は矢内原忠雄教授の演習に参加され、矢内原教授の薫陶を受けられ、大学卒業後においても教授に従ってキリスト信仰者の道を歩まれたようである。(下記の資料を参照)

 『矢内原忠雄全集』第17巻(短言)(1964年7月11日、岩波書店発行)の707頁に『嘉信』第二十三巻第四号(昭和三十五年[1960]四月)に“『東京独立新聞』創刊”なる記事があり、次のような書き出しで始まる。

 「今度私が顧問となり、坂井基始良、奥山清四郎、藤田若雄、大浜亮一の四君が編集委員となって、『東京独立新聞』を創刊することになりました。五月十五日第一号を発行する予定であります。当分月1回発行、タブロイド版四頁、値(送料共)一部三十円、半年一八○円、一年三六○円とし、無教会信仰の立場から政治・経済・社会・教育・科学・文化・家庭等の問題につき、解説・研究・批判の記事を載せ、一般の人々に知識と判断の材料をわかりやすく提供するのが目的であります。…」

 この『矢内原忠雄全集』第17巻には少なくとももう一カ所(p.311)にも奥山清四郎氏の名前を確認できる。

 上記の『東京独立新聞』は東京目黒の今井館教友会図書資料センターに於いて全冊(1-350号、1960-1989)が保存され、一般にも公開されている。

 また、今井館教友会図書資料センターには矢内原氏の逝去を悼んで作られた文集(『清き岸べに』)が保存されており、この編集代表を奥山氏は務められ、「世の光」という一文をその中に寄せられている。氏を知る上での良き資料であるため、その内の一部を次に引用しておこう。

 「顧みますと教室では植民政策の講義を聴講し、演習では経済学の学習をうけました。加うるにうちにまねかれて家庭集会の一員に加えていただき、聖書によって信仰を学ばせていただいた者であります。今日、私のうちにキリスト信仰が本当に正しく生きているとすれば、それはほかでもない、矢内原忠雄先生のお骨折によるものであります。従って先生の存在を抜きにしては信仰者としての私の存在は到底成りたたないのであります。」(『清き岸べに』p.37~38)

【編集者注1】『清き岸べに』の奥付けには次のように記載されている。
 発 行 1962年6月25日
 編 者 清き岸べに刊行会
      代表者 奥山清四郎
 発行者 矢内原恵子
 製 作 財団法人 東京大学出版会
 発行所 東京都目黒区自由ヶ丘292
      嘉信社

【編集者注2】奥山氏は卒業後の昭和12年、矢内原教授への当局からの打ち続く抑圧、更には帝国大学への辞表提出という事態(所謂「矢内原事件」)が迫る中、日々恩師が苦悩される姿に、彼もまたいたたまれぬ毎日をおくられたことであろう。
    
【編集者注3】奥山清四郎氏はノートの署名がS.Okuyamaと書かれていることから、その氏名は「おくやま せいしろう」と読むのであろう。


 山田盛太郎氏による東京帝国大学経済学部の第二外国語経済学は、昭和4年から開始され、昭和5年の講義は4月から7月まで開講されたので昭和5年入学の奥山清四郎氏はこれを受講することができた。

 他方、昭和5年7月に山田氏は東京帝国大学経済学部へ辞表を提出、受理されて辞職退官された。

 この間の事情を『東京大学経済学部五十年史』(東京大学経済学部編、昭和51年4月20日東京大学出版会発行)所収の座談会(p.667~669)から要点だけを書き出せば以下のようになる。
○昭和5年6月下旬に一度検事の家宅捜査を受ける
○同年7月初旬任意出頭のかたちで、検事の呼び出しを受けて出頭
○同年7月上旬辞表を提出
○同年7月11日が発令
○同年7月19日、もう一回、任意出頭のかたちで呼び出しを受け、「きょうは説諭があって、それで終りかと思ったら、『これからすぐ刑務所に行ってもらいます』ということで、すぐに回されました。」
○同年7月から12月下旬まで拘禁を受ける

 従って、この奥山清四郎氏による第二外国語経済学の受講ノートは、山田氏の東京帝国大学経済学部における戦前期最後の正規の講義記録とみなしうるものであり、それ以前の『経済学論集』掲載の二論文や雑誌等に掲載された諸論考と、続く「再生産過程表式分析序論」(昭和6年改造社版『経済学全集』第11巻。注:左記の表題中、「表式分析」は割注方式で正しくは二段で表記されている)、『日本資本主義発達史講座』(昭和7年から8年にかけて刊行)、『日本資本主義分析』(昭和9年刊行)等の退官後の研究活動を繋ぐ上で、資料としての一定の吟味を要するも、山田理論への理解を深める上で、極めて重要な位置に存在する資料といえる。


([最終改訂]2015年10月11日)
 当稿を執筆するに当たり、次の方々の貴重なアドバイスと数々のご協力を得ました。
 奥山氏の東京大学卒業年度の確認については、東京大学名誉教授原朗氏から貴重なヒントとご指摘を頂きました。 また、奥山氏の消息を訪ねて東京目黒の今井館に出向いた折、まことに丁重なもてなしや色々と有益なアドバイスを得、更に、館所蔵の資料の自由な閲覧をもお許し頂き、当稿を書き上げる上で、これまで一部不明で確定し難かった諸事項をこの度ほぼ確保することができました(このとき、矢内原事件についての新しい著作、『言論抑圧-矢内原事件の構図-』[2014年9月、将基面貴巳著、中公新書2284]、についてご教示をいただいた)。 稿末では御座いますが、この場を借りて共に感謝の意を捧げます。

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