随想

2013年3月17日 (日)

『回想の河上肇』

 田文庫の書架へ出入りするようになってどれくらいたった頃だろうか。 書架の間を行ったり来たりする間に、ある小振りな書物が下の方の棚の隅っこから時々ふと私の注意を引くのに気がついた。
 見るからに質素なその身なりからは、その本をわざわざ書架から引っ張り出すまでもなく、戦争後の物資の乏しい折に出版されたものであることは直ぐに見て取れた。
 ひっそりと佇むその本はまるで表紙が無いかのようなまことに名ばかりの薄い紙で出来ており、背表紙も紙が一枚貼り合わせてあるだけで、よく言えば現在のペーパーバックスのようなその外見からは、ある意味親近感すらも感じられた。 天の焼け具合からは、恐らく中の料紙も開いてみるまでもなく極めて質素なものであろうと想像できる。
 薄暗い書架の間ではあったが、身を屈めて少し焼けてやせこけたその背表紙を覗き込むと『回想の河上肇』という表題が読み取れた。 恐らく河上先生ご逝去の折に、有志の方々によって纏め上げられた追想録ではなかろうかと想像できたのだけれど、なぜかその時は一度手にとっては見たが直ぐには開いたりはせず、そのまま書架に戻した。 ただ、大変軽い、という手の感覚が妙に脳裏にこびりついた。

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2012年4月15日 (日)

「あとがき」から眺めた『分析』(12年4/18加筆)

 物の楽しみ方にはいろいろな流儀があっても良いのだけれど、白状するが、じつは私にも書物を手にした時にどうしてもまず「あとがき」から見てしまうという妙な癖が何時の頃からかは忘れたけれどあって、いまだにどうも直らない(場合によっては「まえがき」も見るが、両方が揃っている時はやはり「あとがき」が先なのだ。)。
 初めての著者の場合だけではなく、お馴染みの著者であっても都度「あとがき」を先に読むと、なぜか一先ず落ち着くのだ。 次いで目次を眺め、肝心の本文はいつも最後にまわされるが、都合によって機会を改めることもままある。
 もし「月報」や書肆からの通信文書(その著書の宣伝を込めた著者の随想や、いくつかの短文で構成されている数頁もののもの)の類を本の中から見つけ出したりでもすれば、何をさておいても「あとがき」よりも何よりも、これらを先に読んでしまう。
 私はまっとうな読書人なのだという自覚は十分にあるものの、どうもこの癖は死ぬまでには治りそうもなく、真にお恥ずかしい限りである。

 しかし、言い訳がましいようではあるが、「あとがき」や「まえがき」からは、現在までの著者の学問的な系譜や本文にはない著者の息遣い、この著書に到るまでの道筋等々を知ることが出来、結局そのほうが早く本文を理解できるのだと未だに片意地を張ってこのやり方を通している。 「月報」にはさらに広角レンズで眺めたような光景にでくわすことが出来、おもわずへぇーっと思うようなことや、ニコッとするようなことにも出くわすから、本文を読む楽しみもこれで倍増するというものだ。 月報があると、思わず手を擦り合わせてしまうほど、本当に嬉しい。(小生は、月報を作らない著作集、全集、講座等々は読者を裏切る本当に悪い企画だと決め付けることにしている! とりわけ古書店などで、本来有るはずの月報が抜かれて売られているのを見るにつけては真に悲しい!)

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2012年3月16日 (金)

本の思い出 (2)

 谷部文雄先生の鎌倉のご自宅へお伺いした時のことだった。 いろんな話をしている時、先生がお手持ちの資本論の各巻の初版本を書斎から持ってこられて見せて頂いた。 写真がよくいろいろな本に出ているあれである! こわごわ食い入るように見ながらお話を伺っていると、不意に、中塚君Marxを読む時にはね、ドイツ語の辞書がいくつかいるのだけれど、とりわけWilhelm Liebknechtが編纂した“Volksfremdwörterbuch”があるとね、すごくいいんだ、とおっしゃった。 そして、これの復刻版(リープクネヒト『外来獨逸語辞典』刀江書院、S38年)が日本で発売されているから是非買いなさい、と言われた。 明日にでも神田へ行って探してみます、と申し上げると、そうだ、君は青木から出している資本論初版の復刻版を持っているかい?、と訪ねられたので、いいえ、そのようなものがあるのですか、と答えると、やにわに電話を掛けられ、これから中塚君が行くから一冊やってくれないか、と何処かへ電話をされた。 電話が終わってから、いまね青木の社長に電話をしておいたから、明日にでも神田の青木書店へ行ってもらってきなさい、と言われた。

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2008年8月31日 (日)

山田先生の思い出(3) 寝て読む本は…

 日、大阪市立大学図書館のフロア端末で文献を検索していると、ドタバタと駆け込んできた女子学生が慌ただしく隣のブースで検索を始めた。 せわしなくキーボードを叩いていたかと思うと、また慌てて立ち去って行った。 彼女がいなくなった後、何気なくその端末を覗くと、行儀悪く、検索結果を残したままで何処かへ立ち去ってしまったのだ。
 それとなく、覗くと、なになに、『寝ながら学べる構造主義』(内田 樹著、2002年6月、文藝春秋社発行文春新書)だって?
 構造主義や内田氏にはさほどの興味はなかったが、「寝ながら学べる…」っと言う文字に目が留まってしまった。

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2007年12月 5日 (水)

師への言い訳

 というものはまことに有り難いものである。
 我が師と呼ばせていただける方々は、既にもうこの世ではお目に掛かれなくなって久しいのであるが、今尚私はこれらの先生方に叱られることが多い。
 とりわけ、先生方が書かれたものを繙く時には、その厳しい視線を熱く感じるのだ。 そして著書を読み進んでゆくと、行間からは先生の声が聞こえてくる。

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2007年3月17日 (土)

山田先生の思い出(2) “Gegen den Strom” (本の思い出 (1))

 のような経緯からかは忘れてしまったが、ある日の午後、研究室のソファーで山田盛太郎先生を囲みいろいろとお話をうかがっていた時、レーニン(Lenin)とジノヴィエフ(Sinowjew)とで書いた『Gegen den Strom』という本が話題となった。
 ロシア革命におけるレーニンの考え方を表すものとして先生はこの書を示され、高く評価されたのであった。

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2005年9月18日 (日)

山田先生の思い出(1)

 物を理解しようとする時、どうしても理解できない場合があり、著者のその人となりのわずかなヒントが特別にその疑問の答への道を開く時がある。
 山田盛太郎先生も現代の我々に隣接する人でありながら、単なる毀誉褒貶にとどまらず、まことしやかに様々な論評を山のように積み上げられた方も少なくない。
 この端的な理由の一つは、なんといっても山田先生個人の性格に起因する。

 もちろん多くの先学の業績に、より接近しようと思えば誰もがここに辿り着くのであるが、もし、山田先生の生前に何らかの直接的な接触、とりわけ学問的な雰囲気での接触をもった人であるならば、この指摘に対する理解が得られ易いはずだ。

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