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2006年10月 9日 (月)

山田盛太郎文庫を訪ねて

 日にはなかなか時間がとれなかったのだが、とある事情で急に少しまとまった時間がとれることになり、龍谷大学深草図書館(京都市伏見区)へ山田盛太郎先生の文庫(山田文庫)の閲覧を申し込んだ。(山田文庫は深草図書館の本館ではなく少し離れた分館の地下金庫にあり、長谷部文雄文庫とともに貴重書扱いのため、大学への予約と許諾が前もって必要である)。

 庫はもと信用金庫本店の建物の地下金庫内に納められており、長谷部文雄先生の書物(長谷部文庫)と隣り合わせで保管用の柵の中の移動式の書架の数面にきっちりと整理されて収まっているのを見て思わず顔がほころんでしまった。
 保存状態はまあまあ良いのだが換気の悪さから一部に黴が付いている。 これにはほかの書物も含めてしかるべき対策が早急に必要かと思われる!
 収められている文庫は、先生のご生前にはほんの一部の方以外は全く一般の方々には垣間見ることさえできなかった書物群であったのだが、いま私の目の前にある先生の蔵書はそれを直接に手にとって何時間でもそれらを見ることが可能なものとして並んでおり、眺めているとなんとも不思議な感慨に陥ってしまう。 とはいえ、やはり、生前の先生のことを思い出さずにはいられないこれらの書物を前にすると、やはり一礼せずしては手に取ることが出来なかった。
 閲覧する人にも依るのであろうが、静かに並んでいる背表紙を一つ一つ眺めていると、想像したよりも面白いものがたくさん並んでいるのに気付く。
 明細は言い尽くせないが、先生の教えを受けたものとしてはそこにあった書物は総てが決して今まで抱いていた先生からの統合的なイメージを覆すものではなく一冊一冊が納得できるものばかりであった。(もちろん、先生から色々な話を聞かせていただいていたせいもあるのですが。)

 今回の訪問の一番の目的であった『分析』の原稿は残念ながらここでは発見できなかった。 しかし、『分析』の初版本が書架に一冊あり、中を開くとそこにはこの本に対する批判者の名前と批判されている箇所が該当箇所の上部に横に傍線を引いて範囲を示し批判者の名前を書くか、あるいは批判されている該当の部や章の先頭に批判者の名前を小さな文字で示すかしてある。 全体を静かに眺めていると、『講座』と『分析』発表後の先生の位置を理解する上でこれは極めて貴重なものであることが解ると同時に、世間に多く流布している『分析』と山田理論についての一般的な概要を、著者が抱いていたであろう本来論じたかった位置というべきものへの復元と、なおかつ後進の者がそれを越えて次のステップへと繋ぐ作業をも考えようとする場合に、この本も含め本文庫全体が持つ位置は極めて貴重な資料の山であると言えるのでは(勿論これは読む人に依るのだけれど)との認識がこれらの文庫を前にして、いやが上にも深まるのでした。
 また、『資本論』も原書と翻訳を含めて数多く棚に並んでいるのだが、当時手に入りやすかったカウツキー版とは別にマイスナー版(エンゲルス版)があり(初期の先生の論考はこのエンゲルス版に依拠されていたことを改めてかみ締めた)、これが『序論』を書いてゆく上で果たした役割をも読み取ることが出来る。(これらの本の表紙見返しには先生の特徴的な署名と年月日が書かれており―本を買われた日か読み終えられた日かは不明であるが―、第二巻第三章が精力的に読み込まれた痕を見て思わず姿勢が改まる思いをした。)

 また、深草図書館の本館には未だ整理が出来ていない無数の断片(箱を開けてみて驚いたのは一番上に助教授時代の外書購読のノートがこともなげに並んでいた)が多数箱に入れられたまま放置されており、何らかの形でこれらの整理には手を貸す必要があることも判明。(先生の文字と小さな文字やさまざまな表がびっしりと並んでいるのが災いしたのだろう、図書館の作業員にはその位置と意味が理解できていないようだ。)

 今回の訪問はあくまでも内容を知るための予備作業として訪問したものであるため、つっこんだ調査を時間をかけて行うことが出来なかったが、次のような感想を抱いた。

 私は以前から山田理論が決して完成領域にあるものであるとの認識に立っておりません。 むしろ、山田理論は批判を含め継承され開拓されねばならない厖大な未完成領域を内に秘めたものであり、広大な未開の処女地の入り口に立っている一里塚ではないのかという認識を抑えがたくもっており、歴史的運動の進展をよりはっきりと認識できる今日だからこそ、改めて読み直すことで『分析』には多く言い古されてきている評価通説にあるのとは違った世界へと誘う入り口が秘められているという思いをより一層持つに至りました。
 山田理論は書かれたものだけではなく(しかし、本道はなんと言っても正規に書き上げられた書物であることは言うまでもなく、それを更に理解を深める意味でだ)、このような微細な書き込みや、人となりのような言動を含めた地道でトータルな観点を注意深く積み重ねることによって初めて到達できる理解のみが開くことが出来る重い扉をもった実に“厄介な”代物であったことが、今日多くの巷間で膾炙されている山田虚像を生み出してきたのだと私は考えております。
 先生の残された遺産はどのように読まれることが必要なのだろうか、という問題の設定のもとに『分析』を改めて読み直してみることが、今日こそ必要があることを、このたびより一層確信するに至りました。
 それは宇野先生や大内先生を始めとする宇野学派の流れ、とりわけ最近の小幡道昭教授と山口重克教授のやりとりをみていると、なぜかますますこの考えが深まってゆくのです。

 蛇足ですが、昔、山田、長谷部両先生から、「買ってきてくれないか」と頼まれたある本が、それぞれの文庫内にて図らずも再会し、それを手に取られた先生の嬉しそうな顔がさまざまな思い出とともに蘇り感慨深いものがございました。
 しかしながら、山田先生が昔いつも大切に抱えておいででしたヒルファディング『金融資本論』のドイツ語版を見つけることは出来ませんでした!(私の眼鏡が壊れていたため、上段をはじめ多くの書物を棚にすり寄らないと上手く焦点が合わせられなかったこともあるのでしょう、残念なことに見つけ出すことが出来ませんでした。)(でもたしか、あの本には東京大学の印が在ったような記憶があるので、あるいは東大に返されたのでしょうか。)

 十分に時間をかけられなかったのと、文庫の管理が厳重だったため、心行くまで十分に閲覧できなかったのですが、取り敢えずは『分析』の戦前版を家に持っているので、先生の書き込みだけは近々再度出向いて書写してくるつもりです。 ここから少しずつ始めてゆきましょう。

 寂しいことに、今や訪れる人のいなくなったといっても良いくらいの山田理論には、本当は実におもしろい秘密の回路が隠されているのではないのかというワクワク感が、改めてこの文庫に目を通していると拭いきれないくらい湧き上がり、帰りの車窓からの流れゆく景色を眺めつつ様々なことに思いを巡らしました。
 別れ際、お世話になった司書の方に「最近どのような方がこの文庫を閲覧に来られましたか?」と聞くと、「まずどなたもお見えになられたとは聞いておりません」、との素っ気ない返事が耳に届いたのでした。

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