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2014年4月 8日 (火)

Win.XP最後の日がやって来た(2014年4月9日加筆)

 昨年以来、一向に減る傾向が見えないXPユーザーへ向けて、苛立つMSによって懸命のサポート終了の期日予告キャンペーンが行われていたが、ついに本日、4月8日をもって、その最後の当日がやってきたのである。

 XPを使い続けたい者は、この日に合わせて公開された最後のパッチを含めた幾つかのプログラムを入れてくださいというMSのお達しがネットに出ていた。 日中はサーバーが混むことが予想されたので、夜分、拙宅のWin.XPへの最後のパッチ充てに挑んだ。
 日本語版と英語版の二つのXPマシンに最後のパッチを充てた後、外部との通路となるネット接続のためのケーブルを外しそれぞれを単独機にした。 また、昨年作ったWin.7 Ultimate機のVirtual PC(仮想マシン)としてのWin.XPにも最後のパッチを忘れずに充てた。
 これで拙宅のWin.XPは最後のアップデートが完了し、Win.7 UltimateのVirtual PCとしてのXP以外は、以後単独機として拙宅の書斎で私の相手をしながら余生を送ることになった。

 パッチが完了し、再起動が終わると、日本語版も英語版も本日を以てサポートが終わった旨の告知文が画面に現れた。 ちなみに日本語と英語によるものは次のようなものであった。

 WindowsXPのサポートは、2014年4月8日に終了します。
 WindowsXP End of Support is on April 8th, 2014.

 読んでいて、何か、芸というか、味の無さに興醒めした。
 日本企業の経営者であれば、間違いなく次のように書かせたであろう。
 「長い間ご利用いただき、まことに有り難うございました。本日をもちましてWindowsXPのサポートは終了させて頂きます。」と。

 

 近頃しみじみと思うのであるが、デバイスが無いと繋げるべき世界が変質してしまうこと、繋がるためにはどうしてもデバイスが必用であり、それは常に諸々の価格を伴う商品群を購入することで果たされるものであるために、それらは貨幣で以て購入する必要があり、貨幣が工面出来なくなると繋げようにも繋げることが出来る世界が自ずから限られるかスピードダウンしてこざるを得なくなることへの苛立ちがいいようもなく沸き上がることがある。
 今回のXPのサポート終了というような場合には、どちらかと言えばそれらの機械は使わないで頂きたい、といわれると、エッ!ということになる。 巷の解説者も、なぜ駄目なのかと言うことをもっとはっきりと解り易く説明すれば良いのに、主なニュース番組を拝聴していると、それでは人々が納得はしないだろうとどうしても思ってしまうような感情的な報道しかされていないようにおもった。 あれでは、単に不安を煽り立てるだけではないか。

 ある人は言うであろう。 べつにインターネット等によって繋がる必要などは無く、昔からの紙や音声によって繋がる世界の方が心安らかで、かえって人間的・健康的ではないか、と。 このような意見は昔から結構よく耳にするけれど、簡単なものでは携帯電話からはじまってパッド類や様々なPCによって繋がってきた世界は、急にそれらのデバイスが手元から消えてしまうと、沸き上がってくるある種の疎外感と不安に苛まれずにはいられないはずだ。
 もちろん、そんな状態でも慣れてくれば結構心安らかに生きることはできるであろうことへの理解はもっている。 しかしだ、悠々と晴耕雨読に徹することが出来るのであれば、それは本当に羨ましいくらい結構充実した良い生き方となるだろう。 でも、かつて兼好法師や長明師が人との繋がりを求めて京中を彷徨うように、様々な出来事や人との関わりをかなぐり捨てて生きると言うことはなかなか出来そうにはないのだ。

 他方、例え繋ぐことが出来たとしても、その取り回しの仕方が人によってはなかなか理解することが出来ないために、折角の繋がる機械を買って持っていても、ただの可能性を所持しただけで何の役にも立っていないことを往々にして良く見聞きする。
 おまけに、怪しい方々による繋がる世界の悪用の処理に至っては、ある一定の理解(所謂スキルの積極的な取得)と、取り回すことが出来る最低限の理解(知識)がその利用者にどうしても具備されていなければ、彼等も常にある種の疎外意識と捉え所のない不安感に付き纏われ苛まれることになる。

 まことに社会としての人の世での生き様とは難しいことが多い。

【PS】(4月9日加筆)
 パッチ充て終了後にこの日記を三時前に書き終えた。 その時、ふと、足下の使い古し、思い出が詰まっていたために捨て難く、手元に置いていたXPのノートパソコン二台が目に入った。
 私はこの二台を使いながらモバイル機材の使い方というものの試行錯誤を、本を読んだり、ネットを見たり、若い諸君から教えられたりしながら繰り返したので、そこには幾多の思い出、人々との関わりの記憶がギュッとこもっていたのだった。
 直ぐに、この二台へのパッチ充てを始めた。
 ところが、一線から引退したために、しばらくネットには繋いでいなかったこのCPUが古い機械は、全く予想を遙かに超えて作業が捗らず、気がつくと先程からカラスが鳴き雀がさえずり、もう夜が明けて、家人が起き始めたのである。 そういえば、随分前に新聞配達のバイクの音が聞こえていた。
 なんと、この作業は昼前になってもまだ継続中であり、午後になってやっと終わりが見え掛けてきたものの、このあと午後の3時を過ぎてもまだ終わらず、結局4時になってからようよう終了が出た時は万歳三唱したくなった(二台共に過去の貯まっていたものと併せて140本以上のバッチを入れる必用があった。二台はこれを遅いCPUで何とかこなしたのだった。)。 そんなこんなで、今日予定していた大学へ出掛けてゆく予定は、やむなく中止にならざるを得なくなったのだ。 全く思いもしなかった久し振りの徹夜になってしまい、大変不安が残るけれど、思い出が詰まり、世話にもなった機械達に最後のパッチを充ててやることが出来たことは、殊の外激しい疲労を伴ってはいても、代え難い喜びでもあった。

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