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2014年7月 1日 (火)

福田徳三博士は何処へ行かれたのか?(2014,7,22加筆)

 先日、土地制度資料保存会関係の資料を探査のために一橋大学のお世話になった。

 関係機関は大変親切で好意的であり、検索していた資料は快く拝見することが出来、目的を完遂することが出来た。 私は意気揚々と研究所を出て次の訪問地へと向かった。

 その時、ふと、そうだ、此処には福田徳三博士の記念碑があったのだ、それを是非拝見してゆこうとおもい、向こうからこちらに歩いてこられた教員と覚しき方に、「福田徳三博士の記念碑は何処でしょうか?」と訪ねた。
 すると、彼は困惑したような顔をして、申し訳ないが知らないと言われたのだ。 学部等が違えば、まあ、それもあるかもしれないとおもい、少し足を運んで正門の守衛所に行き、同じことを尋ねた。 守衛所には数人の方が居られたが、思わぬことに、全員が首を傾げ、聞いたことが無い、と言うではないか!

 おいおい、それはないだろう! 戦前の日本の経済学会を牽引されてこられた先学の中でも、抜きん出た存在であった福田徳三博士が母校である一橋で、その顕彰碑の存在が希薄になっているということは全く思いもしなかった!

 少し、意地になって学内に戻った。 談笑している学生達に聞いてみようか、と考えたが、もし知らないという答えが返ってきたら、お互いに困惑する顔が目に浮かび、自分で探すことにした。
 だいたい、銅像とか顕彰碑等というものを据える場所はほぼ想定が着くので、図書館脇から探すと、直ぐに見付かった。

 しかし、最近誰も近づいた形成を感じないくらい雑草が生い茂り、碑の手前の植栽が大きく伸びて碑を隠しているではないか。

 私は、見てはいけないものを探し出してしまったような後味の悪い思いを抱いてしばしその場に佇み、日本の学問というもののある側面を見たような気がした。

【2014,7,22加筆】
  先日よく世話になった京都の古書店内で、本をひっくり返していると福田徳三博士を偲ぶ標題の書物があり、中には一枚の写真が挟まれていた。 よく見ると、その写真は一橋構内に福田徳三博士の記念碑が完成した折の記念の一枚であった。
 写真によれば、記念碑が完成した時点では、手前の植栽はある程度低くて、回り込んだりしなくても正面から福田博士のレリーフが丁度良い案配で拝見することが出来たことを示していた。
 その後、時は移ろい植木は生長した。 そして、刈り込みの手入れが出来ていなかったことと、雑草を刈らなかったために、現在は成長したそれらの植物が博士のレリーフを隠すに至ったのだった。 一橋の何方か!どうか、草を刈り、植木を刈って下さい! 貴校だけではなく、日本の誇りである福田博士のために!
 

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