2014年7月22日 (火)

第一次世界大戦にまつわる映画 + 福田徳三博士の本

 7月18日から21日まで、京都文化博物館にて京大人文科学研究所による第一次世界大戦にまつわる映画鑑賞会とレクチャーの会(人文研アカデミー2014)が開催された。
 18日は幾許か客席に余裕が見えたが、その後は結構満員で、可成り早く行かないと席を探すのに一苦労であった。
 映画は毎日2本づつで、内訳はアメリカ映画が5本、フランスが2本、独逸が1本の計8本である。 このうち、純然たる記録映像は『八月の砲声』(アメリカ)だけで、フランスの『ヴェルダン-歴史の幻想-』は記録映像を軸とはしているが、解説にあったように所謂「戦争詩」とでも言うべきもので、そのほかの『世界の心』、『曉の偵察』、『鉄条網』、『つばさ』(以上4本はアメリカ)、『帰郷』(ドイツ)、『戦争と平和』(フランス)等は所謂戦争を主題とした映画である。
 サイレント映画はこのうち5本でそのほかは所謂トーキーである。 サイレントには弁士ではなく、新進女流ピアニストによる即興の伴奏が付いた。
 映像がモノクロームであったからだろうか、何か遠い世界を覗き見ているようなそんな感覚がふと湧いてくる。
 映像芸術作品とは違って、『八月の砲声』と『ヴェルダン-歴史の幻想-』は当時の記録的な世界を通して改めて第一次世界大戦というものについて直接的に再考させてくれる作品であり、上手い編集であると思った。

 当時の日本人にとって、第一次世界大戦は一体どのような捉え方をされ、大戦への眼差しはどのようなものであったのだろうか、ということを考える時、繙くべき文献・資料の一つとして私は迷わず福田徳三博士の『黎明録』と『暗雲録』を思い浮かべた。
 福田博士のこの二書は『黎明録』が大正8年7月刊、『暗雲録』が大正9年12月刊であり、博士が大正4年(1915)3月から大正8年(1919)9月までの間に講演されたものの記録や書き溜められた記事を二冊の書物にして刊行されたものである。
 私達は、ここで博士の論調についての是非を論じ、その歴史的批判をするためにまず読むのではなく、当時の日本における知的国民の代表のうちの一人として、福田徳三博士の率直な意見を虚心坦懐に拝聴してみようというのである。 そして、その後で、博士の歴史的位相への位置づけや一つ一つの論点への評価が改めて各人によって行われるべきであろう。 ここでは先ず、率直に一度全体を読んでみよう。
 しかし、これら二巻を合わせると、結構な量の頁になるけれど、文体は読み易いものである(『黎明録』が本文だけで1062頁、『暗雲録』が本文が425頁)。 ただ、驚くべきは、この福田博士のこれらの書物でさえ、官憲による削除箇所の爪痕があることだ!
 二書はすこし手に入り難いものの、国会図書館と慶応図書館によるデジタル版が利用できるので、必用な方は是非検索をしてみてください(国会図書館のデータはIDの取得が必用である)。

2014年2月20日 (木)

春季総合研究会の予定が分かる

 政治経済学・経済史学会のHPで、2014年度「政経史学会春季総合研究会」の記事を発見。
 春期研究会のテーマは『第一次世界大戦開戦原因の謎 国際分業が破壊されるとき』であり、開催趣旨を読んで、今年はどうしても行きたくなった。
 六月だから何とか体調を整えることは十分可能であろう。
 『“ Festina lente ! ”』に概要を抜書きしてUP。

【PS】
 今日、恐る恐るお出かけ用の硬そうな靴に足を入れてみた。 何とか足が入った! 歩くには少々痛みが残るが、右足小指の打撲から何と二週間も経って、ようやくまともな靴を履くことが出来た! これで、どれ位歩くことが可能なのだろうか。