2015年3月30日 (月)

体調不良から這い上がる

 この一週間体調不良に悩まされる。 学校に行かず、ひたすら体力の涵養に努めた。

 今日、久し振りに大学に出掛けた。 休んでいたためであろうか、少々ふらつくが、机に座ると、それなりに落ち着く。 暖かくなって本当に嬉しい。 電車の窓から桜が咲いているのが本当に眩く見える! それにしても、一年の約三分の一が寒いというのにはほとほと閉口!

 拙サイト「“ Festina lente ! ”」に「デジタル化に向けて」をUP。

2014年6月28日 (土)

政治経済学・経済史学会春季研究会

 本日は政治経済学・経済史学会春季研究会(於ける東大経済学研究科棟、第一教室)。

※ テーマ:第一次世界大戦開戦原因の謎 国際分業が破壊されるとき

※報告(論題と報告者)
1)「第一次世界大戦開戦原因の謎:問題提起」小野塚知二(東京大学)
2)「第一次世界大戦前ヨーロッパの外交関係と開戦原因」馬場優(福岡女子大学)
3)「第一次世界大戦前ヨーロッパの経済的相互依存関係と開戦原因」
      左近幸(新潟大学)
4)「第一次世界大戦前ヨーロッパのナショナリズムと民衆心理」
      井野瀬久美恵(甲南大学)
※コメント(論題と報告者)
1)「さまざまな帝国主義論と開戦原因」河合康夫(武蔵大学)
2)「さまざまな平和主義思想と開戦原因」渡辺千尋(東京大学)
3)「植民地獲得・経営と開戦原因」浅田進史(駒澤大学)
※司会:竹内真人(日本大学)、高田馨里(大妻女子大学)

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2014年6月27日 (金)

土地制度資料保存会資料探査の旅-3

今日は、国立の一橋へ出かけた。
書籍・論考等のネットサイトでの検索結果から、一橋が所蔵していると言うが、何処の施設にも登録の無い土地制度資料保存会関係の資料二点をどうしても確認をしておかなければならなかったのです。

親切で丁寧なスタッフのお陰で、私は思いもしなかった二点の資料に出会えました。
一つは保存会の農村調査時の未使用の調査票、もう一つは、保存会が昭和23年までに集めたり、確認した農村資料のリストです。
共に、山田先生が心血を注がれて取り組まれた土地制度関係の科学的分析のための現地調査のツールと過去からの集積された歴史的痕跡の記録リストでした。

この後、山田先生の戦前最後の講義記録を残された奥山清四郎氏の確認に練馬区へ出掛ければ、今回のミッションは目出度く完了するはずでしたが、三日間歩き続けると、痛む足を庇いきれなく成り、泣く泣く打ち切って、ホテルに退散せざるを得なく成りました。

2014年6月26日 (木)

土地制度資料保存会資料探査の旅-2

昨日に続き、土地制度資料保存会資料探査の旅を続けた。

朝、国会図書館、続いて農政調査会、農林水産省へと永田町、霞が関界隈を彷徨う。
現場では、多くの方々のお世話になり、現在閲覧出来る資料は大体見ることが出来、いろいろとお話をうかがうことがてきた。

帰路、疲れ果てて日比谷公園で心地よい風に吹かれていると、雀たちが三羽ほどが私の足元を私の顔をチラ見しながら何かくれろとばかりにチョンチョンと飛び跳ねる。
すまないねェ! 何も持ってないんだよ!
それでも雀たちは何度も跳ね回っていたが、一羽去り、もう一羽去りして今度は近くの木の上でさえずっている。 次に日比谷に来る前にはおにぎりを買っておかなければなるまい!

今日も一荒れするかな?と思ったが、昨日とはうってかわった汗ばむ程の良い天気で、木蔭を吹き渡る涼風が例えようもなく気持ちが良かった。

2014年6月25日 (水)

土地制度資料保存会資料探査の旅-1

今日は、東大の図書館のスタッフにお世話になり、土地制度資料保存会研究資料のこれまで未見であった資料をほぼ総て確認でき、これらの一連の研究資料についての概要報告が書けるところまで到達。

図書館にいたので、上手い具合に雨には合わなかったが、すごい雷か何度も鳴って、スタッフの方々と何度か飛び上がった!

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2014年6月22日 (日)

土地制度資料保存会研究資料

 『土地制度資料保存会研究資料』について纏め始めてなかなか捗らないが、ほぼその全容がやっと視野に入る所まで辿り着いた。

 土地制度資料保存会研究資料は全26冊であり、その内の12件が「農民層の生産力構造に関する研究」から、6件が「日本農業の再生産構造に関する研究」から、3件が「富農経営の形成に関する研究」からの報告書資料であり、2件が『農地改革顚末概要』からの抜刷、1件が「日本農業における中核農民層の形成」研究の中間報告書、残り2件が来週からの調査待ちによる判明を待つものである。
 これ以外に保存会の名前で刊行せる報告書や冊子が5冊(その内一冊は上記の研究資料の一つでもある)存在する。
 これらの結果は来週、東京での調査によりほぼ全容解明にたどり着けるはずで、然るべき別サイトにて報告される(無事に東京まで辿り着き、這うようでも何とか帰宅できればではあるが)。 更なる新しい資料がもしも発掘できれば更に良し。

 これでやっと山田先生の戦後の共同研究・研究組織の記録を纏めて行くためのフィールドの一角を埋めることができそうだ。

 それにしても何と言うことなんだろう! netにて探査した土地制度資料保存会の研究資料はあまりにも高価にて販売されており、無理をしてどうしても必用であったものを何点か購入したものの、手元不如意に悩む小生としてはもはやそれ以上は手を出すことが出来ず、断念。

 28日の学会のレジュメが半分位HPからダウンロード可能になっているので印刷する。 問題提起の小野塚教授の原稿は流石である。 彼の文末には「企画者の意図を乗り越えるほどの活発で生産的な討論を期待したい」とあった。

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2014年6月18日 (水)

山田文庫(2014,6,18)

 先日の国家図書館関西館での調査の不足分等を改めて探すために龍谷大学深草図書館山田文庫調査へ出向く。

 ゆっくりと、しかし確実に一つ一つ資料を掘り起こしております。
 『土地制度資料保存会』研究資料(現在判明しているものが26号まであり、他に報告が1件、小冊子が一冊)の内で、どうしても未だ確認が出来ないものが4点、内容は分かっているのであるが、冊子現物の確認が出来ていない(表紙と「前書き」等の確認が出来ていない)のが2点となりました。
 先の4点に関しては東大の経図に所蔵されていることを掴んだが、その内一点(第1号)に関しては同じ標題のもので新潟等の図書館にあるものとは発行年代が異なり、異同の点検が必要になる。 もう一方の2点に関しては、某機関に問い合わせてみると或いはその存在を確認できるかもしれない(もっと重要なものが見付かるかもしれない)。

 山田文庫中所蔵の『土地制度資料保存会』研究資料第4号の中に、第4号著者による中間成果発表時のレジュメ(A4の片面に謄写印刷されている)が折り畳まれた状態で挟まれていた。 このような資料がよく残ったものである。 また、これと一緒に、何故か山田ゼミの学生によるゼミ報告時のレジュメも畳まれた状態で出てきた。 こちらの方には山田先生のメモが遺されており、当時を知る上で、このゼミ資料も興味深い(以前、他にも、大学院でのゼミ関係の簡単なメモが見付かった。 昔、お話しは伺っていたけれど、実際のメモが見付かると、興味深く拝見させて頂いた。)。

 他にも確認できたことが幾つかあるが、専用の別サイトにて纏まり次第報告しよう。

 結構安静に気遣ってきたけれど、左足がまた痛み出した。 時間を遅らせてでも電車は座って帰れるようにした。 来週の東京行きは大丈夫であろうか? 早めに就寝。

2014年6月16日 (月)

国会図書館へ-2

 近鉄電車京都線の新祝園(シンホウゾノ)駅から奈良交通のバスに揺られ、再び国会図書館関西館へと出掛けた。 前回の続きである。 今回は平日であったからだろうか、業務で資料を探しに来た人や、学生が目立つ。

 『土地制度資料保存会資料』がデジタル版で閲覧できるのだが(
東京本館に行っても原資料は破損の危険性が極めて高いため閲覧できない。 関西館で見ても、本館で見ても同じデジタル映像であるなら関西館で確認できるものは関西館で見ておかなければならないと思った。)、前回と同じで料紙が焼けて、文字が筆耕或いはタイプによる謄写版であるため細くて読み難いものが多い。 二日間かかって18件の資料が確認できた。 結局、第1号、第4号、第23号、第25号と第26号の5件の資料が抜けている(第2号、第3号と第5号も国会図書館のリストからは抜け落ちていたが、この三点の資料については既に確認を終えている)。
 ある程度整理が付けば、然るべきサイトに於いてお知らせすることが出来るようになるであろう。

 今日も朝から一日閲覧室に閉じ籠もることになった(もう少し、もう少しと遅らせていると、又してもお昼ご飯を食べそびれて夕方になってしまった)。 閉館時間を迎え、クタクタになって退館。 バス停で腰を掛けて心地良く夕風に吹かれていると、いつもきっちりとやって来ないバスが何故か今日はぴったりと時間通りにやって来た。 もう少し風に吹かれていたかった!
 複写の受付最終のアナウンスがあったので、カウンターに飛んで行くと、疲れたのであろうか、或いは体が冷えていたのか、指を擦ってタッチパネルをいくらつついても反応してくれなくて些か困惑。

2014年6月14日 (土)

国会図書館へ

 国会図書館の関西館(→京都府相楽郡精華町精華台8-1-3)へ出掛けた。 東京本館での調査の前に、失効してしまったままの入館証の新規作成と、東京での閲覧資料の検索に一日過ごす。 (結果、関西館で出来る仕事が結構見つかり、そこで出来るものは関西館で終えておいた方が良い、との結論に達し、もう一度か二度、朝から晩まで捻り鉢巻きをして出掛けることにしている。)

 ある程度人々の認知が行き届いたからであろうか、或いは今日が土曜の性なのであろうか、結構入館者が多い。 環境としては良い!

 目的の資料はデジタル化されていたので備え付けのPCで閲覧したが、サーバーの性か、利用者が多かったのか判断が付かないが、PC画面の反応が言い様も無く凄く遅いのには閉口(10年前の機械でも、もう少し早かったように感じた)!
 また、料紙が焼けていたり、謄写印刷に依るからであろうか、元原稿への映像処理がされていない分だけ、どうも場面が見辛く読み難かった。

 帰り道、どうも目の調子がゴロゴロと心地悪く感じたのは、今日一日頑張ったので疲れたからだと思いながら帰宅したが、よく考えてみると、長時間画面を睨み続けたため、どうやらドライアイに陥ったようである。 (次は、天候さえ許せば月曜日に出掛ける予定。)

 それにしても、国会図書館の関西館はどうしてあんなに不便な所に造ったのであろうか? (久し振りに出掛けたので、降りる駅を一つ間違え、時間を無駄にした!)

【PS】 先般、腰痛と左足膝の激痛によって休養の已む無きに至ったが、磨り減った古い靴を廃棄し、出掛けられないからnetにて丈夫そうな靴を購入、一杯貼り薬と飲み薬の世話になって、何とか庇いながらでも歩けるまでに漕ぎ着けた。

2014年6月 6日 (金)

戦後の山田先生の共同研究の展開について、その2を書いた

 拙サイト “ Festina lente ! ” に下記の論考をUP。

 「山田先生の戦後の研究を追いかけるにあたって-2」 

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