2010年11月28日 (日曜日)

刀傷

 学六年生の時であったと思う。

 父と母が二人とも留守にすることがあり、私一人で留守番をした。
 しばらくは誰も帰って来ないことが良く分かっていたので、普段触ることを禁じられていた刀を引っ張り出し、鞘から抜いたり、入れたりして楽しんだ。
 つぎには、抜き身にして構えたり、構えを変えたりして本物の鉄の重さを堪能していた。
 そのうち、重さになれてくると、振りまわして悦に入りだした。
 そして、この前見に行った時代劇映画の一齣を思いだしつつ格好を付けだすと、もう止まらなくなり、動きがだんだん派手になってゆく一方、最早自制が効かなくなっていった。

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2008年11月 1日 (土曜日)

五十年後

 日、本を二冊買った。

 本が入った袋を抱きかかえ、押さえがたく上気した自分をなだめながら、急いで書斎に辿り着いた。
 包みから本を取り出してそっと机の上に立て、書斎の奥からもう一冊の本を持ってきてくっつけ、三冊の本が静かに私の方を向いて、今、机の上に立っている。

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2007年8月 5日 (日曜日)

ガダルカナル

 分なんかよりも、もっと重いものを、しかも弱音一つ吐かないで背負い続けている人がいることを我々は決して忘れてはならない。

 ニューギニアの東、南太平洋の真っ直中、メラネシアに位置するソロモン諸島の真ん中あたりに熱帯雨林で覆われ、高さ二千メートル級の火山を持つ島がある。 島の名はガダルカナル。

 昭和17年(1942年)6月5日から7日にかけて行われたミッドウェイ海戦で極めて手痛い打撃を受けた日本海軍は、次いで同年(1942年)8月7日からこのガダルカナル島の守備隊への米豪連合軍による奇襲攻撃に端を発したガダルカナル島の戦いに突入することになった。
 軍事的経過の客観的な詳細とその記述については数多く書かれた戦史があるため、戦闘の内容についてはそれらに任せることにして、当稿においては、やむなくこの戦闘に参加することになったある一人の青年について、どうしても書いておかねばならぬゆえに、お恥ずかしいことではあるが、少々怪しくなってきた記憶ではあっても、それをおそれずに記憶を繙いて以下書いてゆこう。

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2007年5月27日 (日曜日)

心の旅路から[時の香り 番外編2]

 ット上の音楽関係サイトを巡っていて、偶然一つのHPに出会った。

 そこはピアノ中心のクラシックMIDIが豊富に掲載されている『
クラシックMIDI ラインムジーク』で、目に入った懐かしい「仰げば尊し」があったので、何気なくクリックし、何度となく聞き入っていると不思議な光景が脳裏に次々に立ち上がってきた。【注:「仰げば尊し」のハイパーリンクをクリックすると別ウインドウがアップしてメロディを聞くことが出来ます。エンドレスに演奏されますからBGMとして流しつつ、この先をお読み頂ければ、筆者にとって幸これに過ぐるものはございません。どうか、スピーカーかイヤホンをご用意下さい。】

 まるでジグソーパズルが解かれてゆくように、一つ、また一つと記憶が記憶を呼び集め、小さな思い出の欠けらが類が友を呼び寄せてはくっつき合い、記憶の底に埋没していた数十年前の世界が目の前に一つまた一つと静かに浮かび上がりはじめ、やがて目の前一面に懐かしい世界が蘇ってきたではありませんか! そこには、もう二度と目の当たりにすることが出来ないと思っていた光景が拡がっており、種種の懐かしい情景、光と音、慣にし多くの人々の顔々が込み上げる涙の向こうからこちらに微笑みかけてくるのです。

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2007年4月14日 (土曜日)

クロの思い出

 ロはむく毛の香りが少し残る黒っぽい中型犬で、体の割には長くてふさふさとした立派な尻尾を持ち、完全な四つ目白足袋の犬ではなかったけれど、そういえばそれらしい特徴をも備えていた。 人間共の身勝手な見方によれば、どちらかと言うと臆病な方に軍配を上げたがるのだろうけれど、心優しく、性格の温和しい、それでいてチョッピリとユウモアの分かる雑種の雄犬である。 彼が振り向くと、顎の突先にチョッピリ生えている白い毛が何とも言えずご愛敬で、口の締りが悪く白い歯が少々覗くのでニヤリと笑ったような面相になる。 ご機嫌なときには、旗を立てて歩くように、ご自慢の尻尾をピンと立ててゆさゆささせながら、タッタカ、タッタカと町を闊歩した。

 ある日、彼は人のいいT家のおばさんに拾われて成長、留守がちなT家の忠実な番犬として活躍した。 子犬の頃から、知らない人が現れると、まずは飛んで逃げつつも、しかし、決して逃げ去ってしまうようなことはせず、見え隠れしながらもしっかりと相手を追尾し、吠え処をうまく心得て、T家の番犬としての重責をばしっかりと果たしていたのである。

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2007年2月21日 (水曜日)

ニッコリ笑うバナナのお月様

一つの深い思い出が、いつまでも満ち足りた想いを呼び起こすことがある。

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2006年6月17日 (土曜日)

探検隊の秘密 [時の香り 番外編]

 てはならないものを見てしまうと……

 小学校には宿直室という部屋があり、大きくまあるいアーチでできた正面玄関を入って直ぐ左、小使室の奥にあった。
 我々五年生男子生徒有志は担任が宿直の折りにコッソリと遊びに行くのを恒例としていた。 もちろん規則ではいけないことになっており、本当にコッソリと夜陰に紛れて閉められた通用口から忍び込むようにして入ってゆくのである。
 最初の仕事はいつも先生の夕食を注文に出かけてゆくことであった。
 何故か注文は毎回“狸”と判で押したように決まっており、しかも同じうどん屋へいつも注文しに行くんだから、みんなで行きがけに注文してから学校に忍び込めばよいものを、一旦行ってからまた校舎をコッソリと抜け出して注文に行くのを常としていた。 それを、
どういう訳か、誰も不思議とは思わなかった。

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2006年6月12日 (月曜日)

ネェ、先生どうして?

 跡と化石はどうして土の中から出てくるのだろうか?

 小学五年生の折、大学を卒業したての寺内という型破りな先生が学校にやって来た。 一体彼の何が型破りであったかといえば、授業のやり方や生徒の指導の仕方が、今までの先生とは打って変わったものだったからである。
 彼は歴史と音楽とを得意とした。
 学校近くのビル工事現場で土器が出土した折には、工務店と事業主に掛け合って掘り起こした地下室の残土を校庭にダンプカーで何杯も運ばせて校庭いっぱいに平らにばらまき、生徒を横一列に並べて隅から隅まで何度も歩かせて土器の欠片拾いをさせただけではなく、授業中に集めた土器片を貼り合わせて復元作業までをやったのだ。 お陰で学校には豊富な土器の標本が溢れることになり、それらを実際に使っている想像図を様々な根拠を調べた上で授業中にその想像図を書かせたりもした(父兄には極めて不評であったが、夢中になってみんなで時を忘れた楽しい授業だったことだけは我々だけではなく先生の名誉のためにもここで言い添えておかずばなるまい!)。 また、終わったばかりの四天王寺の発掘現場に連れて行って古代の遺跡というものを肌で感じさせることにも労を厭わなかったのである。

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2006年6月11日 (日曜日)

母の足跡

 しく吹き渡る風を受け、ここで母も立ち止まりこの風を受けたであろうと思うと、言いようのない不思議な想いがひたひたと胸を満たしていった。

 この四月に母方の実家で叔母が亡くなった。 一月後の四十九日は前日が極めて多忙であったために当日の朝の一番電車で岡山に向かった。
 うまく乗り継げたからであろう、七時には岡山へ到着してしまい、十時の法要には随分と時間があったので、今までとは違い庭瀬まで山陽線で走りそこから車を拾おうと考えた。
 庭瀬の駅では私以外は誰も降りなかった。 一人で陸橋をトボトボと登り始めるとその小さくて狭い陸橋が妙に気になった。 陸橋の真上で立ち止まって眺めているとかなり古い建物だと分かる。 昔、母が岡山市内の女学校へ毎日通っている時にこの庭瀬まで実家から歩いていたことを思い出し、もしかすると、この陸橋を母も歩いたのではないかと思うと妙な懐かしさが込み上げてくる。 案の定、改札へやってくると其処彼処と部品を入れ替えてはいるものの、古い停車場の雰囲気が今でも十分に残っている。 猫の額のような駅前広場の東側には数台のタクシーが客待ちをしていたが、リュックを担いでいた私は迷わず駅を西に、母の実家へ向かって歩き始めた。 恐らく、西へ西へと向かいさえすれば必ずや母の実家へ辿り着けるはずだ、という確信らしいものと母の面影とが一緒になって私の背中はポンと西の方へと押されたからだ。

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男子志を立てるべし―活性化センターの思い出 3―

 は彼のことを“頑固だ!”と評する。 彼に言わせれば“頑固で何が悪い!”っと即座に答えるにちがいない。

 古屋先生とお目に掛かれたのは伊丹の商工会議所であった。 眼をぎょろっと見開き、口をどちらかといえばへの字に結んだ先生は私と違って寡黙であった。 しかも、常に渾身からの誠意をもって話し始められる先生の丁寧な言葉には、一切のてらいが入り込む隙間は微塵も無い。 常に軽口で人に向かって話を始められるようなことはなく、発せられる一言一句の言葉にはまるで彼の保証が書き込まれてでもいるかのように無責任な表現をされることを極度に嫌われた。

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2006年5月10日 (水曜日)

謙虚さが切り開く未来 ―続、活性化センターの思い出―

 虚であることが切り開く未来があること!

【おことわり】 先日、ぼんやりと書斎のガラス越しに外の雨を眺めていたら、なぜか無性に書きたいという衝動に駆られて「(財)ひょうご中小企業活性化センターの思い出」を書きました。 短い文でまとめるつもりが、書き始めると延々と成長してしまい、納まりがつかなくなり、止
めようかと思ったけれど、どうしてもネットに載せたくなってこのコラムに収めたのです。 その後、懐かしいお二人の元スタッフの方々からのコメントがよせられたことをうけて、追加のコメントを別のサイト(→元々そこにUPする予定であった)にUPしたのですが、そのなかの一部に加筆等を行い、このサイトにも収録することにしました。
 不悪、了解を請う。 (注:旧題は「謙虚が一番」としてUPしました。)

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2006年5月 7日 (日曜日)

(財)ひょうご中小企業活性化センターの思い出

 と人とを繋ぐものは人なのだ。

 2004年6月1日、三宮図書館内にある会議室の一つにおいて、地域情報化推進員10名の認証式が予定の2ヶ月遅れで進行していた。
 当時の財団法人ひょうご中小企業活性化センターが母体となり、当時の産業情報部長、安田詔宣氏の肝煎でできあがったこのシステムは、管見の限りにおいては兵庫全域に張り巡らされた全国的に見ても実に画期的なシステムであった。 各県民局に1名の駐在員を置き、地域のIT活性化を促し、明日の兵庫県の躍進と活力の基礎を養おうという、実に遠大な企画であった。

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2006年2月 5日 (日曜日)

時の香り (上)

 間にも香りがあるということを知るためには、時の流れに身を任せる必要があった。

 昭和33年、弥生3月、私は大阪市立生魂小学校、6年月組の卒業を迎えようとしていた。
 この学校でわれわれの月組は学年にもう一クラスあった“花組”と共に1年生から6年間クラス替えというものをただの一度も経験せず、ほんの少しの転校生の出入りを除くと、6年間をまるで30人兄弟が群れるようにしてノンビリと過ごし、競争というものにはほぼ無縁の日々を送っていた。 また、ほんの一握りの生徒以外はほとんどが目をつむっても歩いてこれるような場所から毎日登校していたために、まるで学校は庭の一部みたいなもので、学校へ行くという行為に潜む本来的緊張感というものが全く湧いてこず、そのことがより一層生徒をノンキ放題にしてしまった。
 後になって分かったのであるが、このパラダイスのような世界への認識は、後に中学へ行くようになって初めて、世間の巨大な競争の波頭のもとに曝されることにより、愕然となり、驚きのあまり口もきけなくなって初めて思い知らされたのである。
 式場で卒業の花束を渡されていても、我々はさほど未来への不安を持ち合わせていなかった。 なぜならば、これが普通であると思い込んでいたし、決して疑ったりもしていなかったからで、時折聞こえてくる中学での出来事は、遠い地球の裏側でオケラが鳴いているようなものにしか聞えていなかったからだ。

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2006年1月 2日 (月曜日)

母の遺言

 には目で見ることのできない道を通らなければ繋がらない世界がある。

 どちらかと言えば、母は昔から向上心に富み、親譲りの理想を追い求める性格を持ち合わせていたが、かといってなにがなんでもそれを人に押しつけることにはこだわらなかった。
 父は、特に理想を追い求めることには執着しなかったものの、現実を直視することで人の調和点を探り、場を納めることには優れた感覚を持っていた。
 共に明治人の共有する粘り強さをもっていたが、基本的に気の短さをも共に内に秘めていた。

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2005年12月25日 (日曜日)

狸さんごめんなさい

 ょっとした配慮を欠くと、これが後悔の原因となることがある。

 夏に十分な休みが取れなくて、秋も暮れかかった11月に一週間ほどまとまった休暇がとれた。(取れた、って言うか、もぎ取った!)
 いろいろと集中して何かをしたい時にはもってこいのチャンスだ。 家族の了解のもと(???)、一週間山にこもることにした。
 厳選した3冊ほどの書物と紙の束、なにがしかの文房具をかかえ、お気に入りのテントやキャンプ用品を車に載せて和歌山の山奥、川湯温泉のキャンプサイトに移動。
 まずここを選んだ理由は、大都会から十分に離れていること。 次に、無料の露天風呂(冬季限定の仙人風呂)があること。 そしてこれが一番肝心なことだが、サイトが広く、勝手に好きなところで自由にテントを拡げることができることであった。

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