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2019年2月

2019年2月10日 (日)

旧記事の削除

 昨日から当日記サイトと、もう一つの日記サイトの昨年末の再開以前の旧い記事を削除した。 当サイトの日記記事は積もりに積もって約三百項目程が存在していたためであろうか、niftyのサーバーからは一度に掻き落とすことが出来なかった。 ある一定の削除作業を進めると、このPCを以てしても画面が固まり、時に全く言うことを聞かなくなるため、結局何とかして固まった画面を閉じ、いっとき時間を空けて再開の上、再び固まりそうになると急いで閉じて、やっと四回面にして漸く昨年末の再開以前を先程総て消し終えた。
 今回の削除は、特に深い意味は無いのだけれど、まあ、所謂気分の一新とでも言えば良いのであろうか。 今年への期待願望を込めてとでもしたら良いのであろうか。
 その他のサイトの記事も削除をした方が良いか、或いはサイト自体を整理した方が良いのかの判断がいるが、これはもう少し考えてからやろう。

 用心していたのだけれど、三日前から風邪を引き、寝込んでは起きて、ティッシュの箱を抱え込んでの削除作業になったけれど、ようやく目的を達した。

2019年2月 6日 (水)

全集・著作集は如何にあるべきかを問う

 もう終わり、と言いながら三つ目を書くと、それは大概駄作と昔から相場が決まっている。
 だけど、今朝起きると、どうしても、これも書いておきたくて、些か逡巡したものの、やはり書いてみよう(老人はこのような勿体ぶった書き方をする!これは要注意である!)。

 もう十分生きてきたので、内外を問わず、全集や著作集なるものは数限りなく手に取ってきたし、小生の苫屋の書斎にもいくつかが鎮座されている。

 ただ読むだけであるならば、特に目くじら等を立てないで、ただ味わえば良いだけなのだけれど(目が眩むような高価さを除けばである)、研究用資料としてこれを手に取る場合、大いに嘆息を禁じ得ない!

 何故ならば、まず、引用文献の選択肢が余分に一つ増えたからである(多少、私の我が儘があるが)。 手持ちの初版ものから始まる既版の書籍であれば、改訂や増補が影響しなければ、頁数は概ね変化しないのであるが、全集や著作集版は申し合わせたように原本と頁数が変わるため、どうしても財布に哀願して、何とかして我が儘を聞いてもらわねばならなくなる(まずは、該当する新しい頁数を把握するために、である)。
 さらに面白くないことに、原著者の手控え本によって改訂したり、言い回しを原著と変化させたり(漢字や表現、仮名遣い等々)と、編集者は勝手なことを言うが、一番肝心な何処を改訂したのか、何処の表現を現代風に改めたのか、発見されたどこのミスプリを改めたのかについては、大抵全く示されていないことが多く、些か失礼千万(著者に対しても、古くからの読者に対しても)ではなかろうか! 最も驚愕に値するのは、原著の先生がご存命であればと書き付けて、時代の推移により、先生ならばここはこうしたであろう、等と身勝手な編集を加えられるのには本当に辟易し、研究者としての資質を甚だしく疑う。
 ドイツ語の所謂髭文字が新しいものに置き換わっているのは、当初は読み易くて楽ちんではあるが、髭文字とて、慣れれば結構それほどには苦にはならない(だだし、老人は視力が弱っているため、時々読み間違いがおこり、一時意味不明に悩んだりするのは、個人的な不勉強の祟りと言うべきであらう)。

 全集や著作集を世に出そうと企画された理由は、ただ、著者を顕彰するためだとか、その書物が手に入り難くなったから、という理由ではあるまい。

 編集諸氏に問いたいのは、原著者の一体何を後世に伝え、引き継ぎ、引き渡すために、必要に駆られての全集や著作集の企画・編集であったのであれば、どのようなものが後世・後学に対し、遺されねばならないのかという一点についての存念である。

 歴史的に重要な書物(遺産)は、そのどの版を先ず後世に遺し示すことが大切なのか、原著者が遺した個人的な記載(自家用本への書き込み等)や、後々の版で公刊された変更箇所等々を逐一明示することで、後学の人達に原著者の示したかったことへの肉薄の径をどう探らさせれば良いのか、更なる学問の発展に資するために、そして何としても後学に示し、伝えなければならない著者の息吹とはどのようなものであったのかをどうやって示せるのかという点での原資料について十分な検討が編集者に求められている。
 だから、一般的には、原書籍が初めて世に問われた初版を原頁通り、書式も原書籍通りに復刻し、知り得た情報を脚注として巻末か、別冊子に編集する努力が本来有るべきではなかろうか(場合によっては最終版が最適となる場合もある)。(私は旧字や旧仮名遣いは苦手で困る等という輩は、そもそも初手から学問をする資格はありません。何のために辞書があるのか、君は何のために今迄学問をしてきたと、自問自答をまず何よりもされるべきであろう。)
 (ただ一言付け加えると、複雑で日数をたっぷりとかけなければならなくなると、どうしても高額な価格からは逃れられず、出版を事業として行うには採算上問題が多いため、出版側と編集側はお互いに妥協が必要となるという出版社の指摘があることにも留意が必要かも知れない。しかし、後世に示すためには、どうしても乗り越えられない壁とは思えない。双方共に意識を転換すれば、乗り越えられないはずは無い、と愚考する。)

 嫌味を最後にもう一つだけ書き記すと、原著者が意味を持たせて作った筈の著作物の空白域が大抵の全集や著作集版では無視されて、ノッペリとした面白みの無い気の抜けた紙面に成り変わっていることに大変な失望を禁じ得ないことである。
 著者が注意深く提示した余白域が存在するとき、編集者が遺し伝えなければならないことは、まず原著者の息吹であり、原著者の鼓動を感じさせるこの重要な構成を読者が捉えられるようにしなければならないことで、消し去るようなことは、断じてすべきでは無い。 特別に余白域を著者が設けた場合は、それは立派な構成要素として捉えることが要求されているのであって、ただの印刷上の空白域・余白では無いことを改めて認識しなければならない。

 なにをおいても汲まなければならない論点は、原著者の意図であり、伝えたいと原著者が願ったことへの配慮であろう。 これが他の一切合切よりも優先すべき最重要点であること、そしてこれが唯一の目的であるということを、改めて心に刻むことでなければならない。
 そしてなによりも、そのことが著者自身が何よりも望むであろう唯一の論点であり、全集や著作集を繙く読者にとっても編集者に切望する唯一無二の論点でもあるのだから。

2019年2月 5日 (火)

古書市会場で考えた

 昨日、記事を書いて床についたとき、もう一つ書き残したことに気付いた。 この寒い夜中に起き出して書き足すのも癪だ。 そうだ、もし、明日朝覚えていたら書けば良いではないか、思い出せなかったとしたら、それは大したことでも無かろうて、と言い聞かせて、昨夜は妙な安堵をして寝入った。 考えとは裏腹に、自分は恐らく覚えてなんかいるまい、どうしても書かねばならぬのなら、自分の性格からすると、何時であろうと、どんなことをしてでも起き出して書き終えるはずだからということが分かっていたからである。
 ところが、目が覚めてみると、意外にもしっかりと覚えていた! いやはや、私も些かしぶとい!

 話はこうだ!
 この十年近く前から、大きな野外での古書市で、旧家から出たであろう厖大な数の古文書の山が、あちこちで砂埃の中で悲鳴を上げているのに気付き出した。
 大学の研究室や、研究所では、保管場所も手狭になったり、教務からは嫌味を言われ、大学からは紙の山等にビタ一文の予算さえも振ってはくれず、就職先が気になる院生やポスドクの若者達からも、余程のことがない限り、地味で根気が必要であり、成果の保証が全く付いていない、訳の分からない和紙の山などへの関わりを嫌うようになってしまっている。

 何等かの事情によって、古文書達は、斯くの如き埃舞う路頭に追いやられ、奇特の士を往来に切望せねばならなくなったのである。
 勿論、様々な玉石混交の体を成す総ての古文書達に保護を与えることなど到底不可能ではある点は小生も十分に了解しているけれど、研究者やその卵たる者は、鍛えられた(あるいは鍛えられつつある)学識を駆使し、少しでも資料のもつ個別的な意味を読み解き、あるものは記録に留め、保護しなければならないものには保護を加え、時に後進のための教材にさえ役立て、やろうと思えば出来なくもなかろう。
 目の前で、消滅の危機に瀕し、徒に風に遊ばれて紙箱の中で怯える古文書達の墨痕が、舞う砂埃の中で、寂しげに私に悲痛な問い掛けを続ける。 私は自らの無力を恥じつつその場に立ち尽くし、暗澹たる気持ちが払っても払っても押し寄せてくるのをどうしようもなく眺めているしかない自分が腹立たしくなる。 (他方では、これらが甚だ高価で売り出されていることも、ある本質的な空しさを一際増大させている。)

 古文書達だけでは無い。 最近の野外で催される古書市では、売れなくなったかつての歴史的に重要な学問的文献でさえ、何の惜し気も無く、青天井の下で二束三文の一冊100円で山積みされ、客寄せの材料にされている(この機会に新しい庇護者に巡り会えなければ、彼等は書物としての役割を解かれる。だから、彼等には庇護のためのテントは初手から与えられていない。)。 予算の乏しい私などは、その餘慶に与るべく、セッセと出向き、昔買い損ねた書籍を探し、手目の良い重要書を研究予備の為に重いのを我慢し、歯を食い縛ってでも買って帰るには良い機会ではあるが、しかし、本来はこれらをもっと学生達へ行き渡るような何か別の手段や方法は果たして無いものであろうか、と何時も考える。(他方では、書物が来ても、指導できるまともな教員がいなければ極めて意味が薄いのだけれど!)
 しかし、先学が心血を注ぎ紡いだ重要な学問的遺産が、これまた、裁断と焼却の瀬戸際で空しく太陽を仰いでいるのを見るにつけ、悲しみが胸を突く。 もし、急な雨がきて、濡れでもするようであれば、間違いなく彼等はこの世からその書物としての姿を消されてしまう。 立ち竦み、ただ、溜息をつく。 これらの重要な学問的遺産が、何とか、誰か向学の士に無事届いて欲しいと、切に願わずにはおれない!

 人は嗤うかも知れないが、恩師の書物などは、嘗て、古書市で出会う度に、良いものは可能な限り、我が書斎までお出でを願った。 同じ書物を十何冊も買って、お出でを願った。 しかし、絶版になっている恩師のこの書籍は、実に様々な用途があり、この総てが現在使用中である。 次に出会う機会があれば、もう一二冊、是非お出で願おうと思っている。(恩師の書物が書架や台の上に並んでいるのに出くわすと、書物が話し掛けてくる、すると私は彼等をどうしても書斎にお招きしてしまう。 時に、どうだろう、と思うことも無くもないが、どうもこの癖だけは生きている限りどうしても治りはしないのである。)

2019年2月 4日 (月)

書肆の居心地の悪い世界なんて・・・

 所用があって大阪に出た。 用を済ませ、行きつけの古書肆に出向いた。 丁度二時過ぎぐらいであっただろう。
 書肆に近づくと何故か何時もと違って、閑散としていることに気付いた。 あれ、今日は臨時休業かな?と、思って入り口のシャッターに貼られている小さな文字が書かれている紙片に顔を近づけて読んでみると、今日の午後に当店は破産手続きを行い、某管財者の管理下にある云々と書かれていた。

 大阪でも小生が頼みとする有力な古書肆がもう幾つも姿を消した。 東京の研究会のついでに良く拠る神田や郊外の馴染みの書肆が、もう幾つも姿を消すか、その営業が変化しだしていて久しい。

 古書肆の方々と店先で話し込んでいると、どの書肆も一様に、「書物が売れなくなった」、「時に、一日中、学生の姿を見かけないことがある」、オマケに言うに事欠いて「やってくるのは、貴方のような老人くらいのものだ」というのだ!

 この現状の一番の極みは、社会科学系、経済系、とりわけMarx系が棚から動かないのだそうだ! だから、年寄りでも私たちがくると、少しは売れる!
 神田に関わらず、古書肆を歩けば、たまに来るからであろうか、上記の学系の書物が潮が引いて行くように、出向くたび毎にその棚数を減らして行っているのがよく分かる! 時に、全く姿が消える!!!

 まさか、多くの学生が、デジタル書籍を読んでいるか、図書館に入り浸っているようにも思えない。 早い話が、一体どの様に勉強しているのだろうか?、ヒョッとして今の大学では書物はもう勉学の手段ではなくなったのであろうか!!!

 そのような後ろ向きなことを考えながら、家路についた。
 帰って、書斎に入ると、小さな書店が出来そうなくらいの書物が一斉にニコニコと出迎えてくれる。
 本当に、老い先が手に取るような身近な距離になった今でも、未だに書物が次々と私の書斎にやって来てくれる。
 ゆっくりと机の前に座り、帰りを待ってくれていた書物を撫でてみる。 まるで、犬か猫のように、書物が喜ぶ。 ゆっくりと扉を開き、紙片がいっぱい挟まり、書込が至る所にあるその書物は、気紛れに開いたある頁の、偶然目があった行のところから、さっきまでそうしていたかのように淡々と私に話かけてくる。 口にふくんだフレンチローストのコーヒー豆の香りだけが、うっすらとだけ残り、時が溶けて辺りから消えてゆく。

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