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2019年2月 4日 (月)

書肆の居心地の悪い世界なんて・・・

 所用があって大阪に出た。 用を済ませ、行きつけの古書肆に出向いた。 丁度二時過ぎぐらいであっただろう。
 書肆に近づくと何故か何時もと違って、閑散としていることに気付いた。 あれ、今日は臨時休業かな?と、思って入り口のシャッターに貼られている小さな文字が書かれている紙片に顔を近づけて読んでみると、今日の午後に当店は破産手続きを行い、某管財者の管理下にある云々と書かれていた。

 大阪でも小生が頼みとする有力な古書肆がもう幾つも姿を消した。 東京の研究会のついでに良く拠る神田や郊外の馴染みの書肆が、もう幾つも姿を消すか、その営業が変化しだしていて久しい。

 古書肆の方々と店先で話し込んでいると、どの書肆も一様に、「書物が売れなくなった」、「時に、一日中、学生の姿を見かけないことがある」、オマケに言うに事欠いて「やってくるのは、貴方のような老人くらいのものだ」というのだ!

 この現状の一番の極みは、社会科学系、経済系、とりわけMarx系が棚から動かないのだそうだ! だから、年寄りでも私たちがくると、少しは売れる!
 神田に関わらず、古書肆を歩けば、たまに来るからであろうか、上記の学系の書物が潮が引いて行くように、出向くたび毎にその棚数を減らして行っているのがよく分かる! 時に、全く姿が消える!!!

 まさか、多くの学生が、デジタル書籍を読んでいるか、図書館に入り浸っているようにも思えない。 早い話が、一体どの様に勉強しているのだろうか?、ヒョッとして今の大学では書物はもう勉学の手段ではなくなったのであろうか!!!

 そのような後ろ向きなことを考えながら、家路についた。
 帰って、書斎に入ると、小さな書店が出来そうなくらいの書物が一斉にニコニコと出迎えてくれる。
 本当に、老い先が手に取るような身近な距離になった今でも、未だに書物が次々と私の書斎にやって来てくれる。
 ゆっくりと机の前に座り、帰りを待ってくれていた書物を撫でてみる。 まるで、犬か猫のように、書物が喜ぶ。 ゆっくりと扉を開き、紙片がいっぱい挟まり、書込が至る所にあるその書物は、気紛れに開いたある頁の、偶然目があった行のところから、さっきまでそうしていたかのように淡々と私に話かけてくる。 口にふくんだフレンチローストのコーヒー豆の香りだけが、うっすらとだけ残り、時が溶けて辺りから消えてゆく。

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