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2019年4月

2019年4月21日 (日)

文献引用時のイライラ

 引用文献を記載する時、一瞬、複雑な思いに駆られることがある。

 邦文文献の場合、著者によって何回か版を変更されたり、さらに著作集・選集・全集(著作者が生存中に編集される場合もあり、没後に編まれる場合もある)があったりと、同じ著者による同一の文献に対し、幾つかの異なる版本が存在する場合がある。
 これらの場合、どの版本を引用文献として選ぶのが良策なのだろうか、と時に悩む場合がある。
 引用者または読者がどの版を持って互いに向き合っているのかは、時として不明なのである。執筆者は、自分にとって一番良い版本を引用文献に当てたいであろうし、読者にとっては手近に所持している版本で引用文献を確かめたいはずである。

 とりわけ、翻訳文献からの引用をする場合は一層複雑な思いに駆られる。基本的には外国文献の場合は原語版の頁を表記すれば全く文句が無いように見えるが、原語版といえども邦文文献と同様に沢山の版本があり、どの版を指せば良いのかが同じように問題になる。
 翻訳文献の場合、出版社や翻訳者によってもどれを選択するべきかという問題があり、幾通りもの版があれば、訳文だけの問題ではなく、頁数も異なる場合があり(文庫化されると訳文はほぼ同じでも、頁数が異なる場合がある)、勢い、主なものは全部買い込んでそれらを表記すれば良いではないか、と言われると、執筆者と読者は出版される毎に、ことごとく様々な版本を買い揃え、いざという時のために備えねばならなくなるし、執筆者も、たった一言引用するのに、何冊もの異なる出版社・翻訳者の頁をくどくどと書き連ねなければならなくなる。イライラが募るのであるのであるが、論考を通じて執筆者と読者との間のコミュニケーションが成立するためには、引用文献の選択は本文以上に難しいものがある。書く側にも、読む側にも、互いに自分にとって最上の版本があるために、この一点で、コミュニケーションに支障が生じるのは何としても避けたいという気持ちがある反面、自身が相応しいと思っていない版本が取り出されると、どうしても舌打ちをしたくなる。

 しかし、悲しいもので、気がつくと書斎には同じ著者の版の異なる同じ文献(邦文文献や原文版、ならびに翻訳書に至るまで)が書棚に鎮座されて、小生からの呼び出し備えて今か今かと待機しておられる。円滑なるコミュニケーションが必要であるとの思いがそうさせているのだ。
 執筆者には読者に対して、自己の論考への十全な説明責任があるので、例え苛つくことがあっても、ここでは丁寧な対応が何よりも肝要となることから、健気にも、家庭平和を祈る一方で、書肆へと暇を見ては足繁く通わねばならなくなる。

 また、長生きをすると、時として溜息をつくことがある。
 三十年位前では、この書物を引用文献として掲げておけば、大方はそれを納得されていたのだけれど、最近では、最早、それが些か通用しなくなり、新しく出た人気(?)の版本をどうしても用意しておかなければ引用箇所の特定に手間取ることがあり、渋々新しい版本を買うためにまたもや書肆へと出かけなければならなくなる。
 ある時、小生は、運悪く内に見つかり、同じ書物を一体いくら買い集めると気が済むのかと、説明を求められ、困惑の縁で狼狽えた。

 しかし、如何に困惑の縁で、溺れもがこうとも、一時の堪忍を渾身の思いで乗り越えさえすれば、時々ニンマリとする瞬間が必ずやってくる。
 時代を問わず、人様の書かれたどのような論考を読むときでも、引用文献の該当箇所へ簡単に行き着くことが出来るし、コミュニケーションでてこずることから解放されるのである。

 時に、用意しておいて、以外に役に立ったものがあった。
 山田先生の『分析』に対する各時代の様々な論客による論考を読むとき、時代によって利用された引用文献の該当箇所へと簡単に辿り着けるように『著作集』版の第二巻(『日本資本主義分析』)に『講座』分冊、旧版『分析』、岩波文庫版の各頁を色を変えて脚注として頁下部の空欄に書き込んで見ると、最初はあまり期待していなかったけれど、これが意外にも便利なものであった。お時間のある方は、是非お試しください!

 更に調子に乗って蛇足を付け加えると、山田盛太郎先生の資本論はエンゲルス版なので、探し巡って神戸の古書肆で先生ご所持の版より一年後のエンゲルス版[オットーマイスナー最終版]を見つけた。この時は、飛び上がるほど嬉しかった。山田先生の書物を読むときは役に立った、後年、このエンゲルス版は龍谷大学の山田盛太郎文庫所蔵のエンゲルス版『資本論』の映像資料を編集する時には大変重宝した。

2019年4月19日 (金)

脇村義太郎氏の回想録を読んで

 出版以来気になってはいたのだけれど、購入順序の点でいつも後回しにしてきた書物があった。
 岩波書店から出版された脇村義太郎氏の随想書類である。

 刊行順に書き上げると次のようなものだ。
 『東西書肆街考』岩波新書(黄版87)1979年(昭和54年)6月
 『回想九十年 師・友・書』1991年(平成3年)9月
 『二十一世紀を望んで 続回想九十年』1993年(平成5年)12月
 『年譜・著作目録』1994年(平成6年)12月
 『わが故郷田辺と学問』1998年(平成10年)4月

 脇村氏によるこれらの書物を、私は山田盛太郎先生の同時代史として読んだ。
 もちろん、これらの書物は、脇村氏の個人的な記憶を源泉とした記録で、突っ込んだ事実の確認と検証に対しては、それらは読者の仕事として尚残るわけではあるが、同時代の様々な様相を脇村氏の目と記憶を通して、改めて認識するという意味では貴重な書物であり、これら五冊を一気に読んだ。

 脇村氏の回想録や随想、対談については、小生が判っているものとして、他に下記の二つの書物があるが、現時点では小生は未読。
 『脇村義太郎対談集ー産業と美術と』1990年(平成2年)12月(日本経営史研究所)
 『東京湾は世界一 湾を守れ!』1996年(平成8年)月不明(岩波ブックサービスセンター

2019年4月 6日 (土)

新しいPCの導入

 この一か月の間、ネット利用に関わる幾つかの不安が重なり、諸般を考慮し、ネット使用の安全性の観点から、推薦されたWin.10版のPCを新たに導入することにした。
 健気に働いてくれた自作のWin.7(Ultimate)機はネットから外し、研究用の物書き機として愛用し続けることにした。これで、ネットに関わる不慮の事故から種々のデータと文書を保護できるし、安心してものを書き進めることが出来る。

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